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すべて真実

午后の宝物館

 今年の1月のことである。ぼくは佐島先生の授業の課題で、法隆寺宝物館にいた。法隆寺宝物館は、その名が暗示するように、法隆寺から献納された数々の仏像や仏具等の文化財を所蔵している施設で、東京国立博物館の門を抜け、そのまま左方向へと真直ぐに進んだところにある。場所が場所だけに、なかなか知られていない。


 本館が和洋折衷の、東洋館がモダニズム風の建築であるのに対し、宝物館は静謐な気分をたたえた現代風の建築となっている。宝物館の正面には水盤があって、来館者は、その道の中央に拵えられた細い橋を進んで門を目指す。白っぽい色調で整えられた建物の外観に、いつも「オモテ」の方の館しか訪れない人間は、ひょっとしたら刺激的に目に映るのではなかろうか。建築は東洋館を手がけた谷口吉郎の息子、谷口吉生MoMAの設計者でもある。
 此処にはもう何度か訪れていたのだけれど、先生がおられたこの日が最も楽しめた。周知のとおり、先生は長らく東京国立博物館に勤められていたので、いろんな逸話を語り聞かせてくれる。こちらが問えば、の話だが。
 

研究的な話も面白いけれど、やはり内部の話を聞くのが1番である。仏像の陳列の順番に込められた意味、『摩耶夫人像』と館長の接待をめぐるエピソード、館の正面の水盤に足を滑らせて転んだ外国人観光客の話を聞いた時には、恥ずかしさを忘れて笑ったこと。
 平日の、しかも閉館間際ともなると、来館者の数はめっぽう減る。この日も授業関係者10数名と、2、3人の観客しかいなかったと思う。
 

そんななかで、授業で見かけたことのない女性が目に留まった、というより、仏像一体一体をながめては、陶然とした顔をしているその姿に目が吸われた。只者ではなかろう。目があって御辞儀を受けたので、思わずこちらもしゃっちょこばったように頭を下げた。見上げるともう、斑鳩の御仏へと眼差しがそそがれていた。

 


 そのひとが佐島先生のゼミ生であると知ったのは館を去る間際のこと。大学関係者は、もう先生とぼくと、件の女性の3人しか残っていなかった。
 展示室を足早に去りつつ、仏教学部の杉山と申します、と話しかけた。お名前を受けたが、聞き取りかねて口籠る。それを見兼ねて、御相手がまた名前を告げた。「シシバ」と言った。どう漢字をあてられるのですか、と訊ねたら、「紫芝」だとか。
「土地が関係してるんですか」
「どうでしょう。でも、あたし生まれは信州です。地元では多いんですよ。今日は〝もぐり〟で参加です」
 そうでしたか、と言うより早く、「何時からいたの」と佐島先生が問う。14時からです、という返事に、ぼくも先生も驚いた。


 エントランスを抜け外へ出ると、佐島先生が、「ほら、ここここ。ここで落っこちちゃったの」と水盤に頤を向ける。
「いやあ、さもありなんじゃないですか。だって、道の柵の大きさは小人向けですよ」と返すと、紫芝さんは淑やかに微笑む。先生は憮然とした表情の奥で笑っている。堪えているような表情に、こんな仏像いたかも知らんと思ったものだ。 


 土日祝日ともなると、博物館の手前の広場は屋台やら出し物やらで繁雑としているものだが、平日の夕刻は黄昏の雰囲気に落ち着いて、冬空は天草色に満ちている。夕陽に雲が押し立てられていた。
「雲の名前はさ、やはり知っておきたいよね」と佐島先生が呆と空を眺めながら呟く。やめておけばいいのに、思わず「あれは豊旗雲です」と言ってしまった。本当にそうかはわからない。でも、そんな気がした。
「え、え、きみ、雲の名前がわかるの」と慌てる先生に驚いて、「いえ、先生、確信はありません」と半ば大袈裟な声で、言った気がする。紫芝さんも、にっこりしていたと思う。


 東京文化会館の前まで来て、佐島先生は僕の帰路を問うた。銀座、半蔵門田園都市の3つを使うことを伝えたら、いいところに住んでますね、という。思わずまた、笑ってしまった。
 そうしてわれわれは互いに一礼を交え、それぞれ雑踏の波へ揉まれて消えた。

 

 

 

・付記

 

 

法隆寺献納宝物の一つで、朝鮮三国時代から飛鳥時代後期にかけての小金銅仏群(国重要文化財)。他の宝物と共に明治時代に皇室に献上され、戦後国に移管された。現在は東京国立博物館法隆寺宝物館において良好な状態で常設展示されている。日本では善光寺式とよばれる一光三尊形式の作例や、止利様式を示す作例、飛鳥の山田寺に伝わったと考えられる日本最古級の阿弥陀三尊像等が含まれている。七世紀を中心に八世紀初頭にかけての日本・朝鮮半島の仏像彫刻の様式をよく示す優れた作例群として名高い。

 

近藤謙 四十八体仏 - 新纂浄土宗大辞典

 

 

 

 

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如来立像

 

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観音菩薩立像

 

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如来坐像

 


如来立像』1躯,銅製鍍金,像高33.4,朝鮮三国時代,6-7世紀,重文,N151,法隆寺献納宝物。

観音菩薩立像』1躯,銅製鍍金,像高31.4,飛鳥時代,7世紀,重文,N183,法隆寺献納宝物。

如来坐像』1躯,銅製鍍金,像高30.8,飛鳥時代,7世紀,重文,N145,法隆寺献納宝物。

いずれも画像提供元は東京国立博物館公式HP「金銅仏 光背 押出仏」https://www.tnm.jp/modules/r_exhibition/index.php?controller=item&id=6122

なお、現在宝物館は臨時休館中。