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すべて真実

亡き友についての

吉増剛造さんとかかわりをもたせていただくようになったのは、今から2年前のことである、詩人の個展でお会いしたのを契機に、折々の場所でお世話になっている。

 

展示や講演、上演の場にしがない聴講者としてお伺いさせてもらったこともあるが、お手紙のお返事をいただくこともある。 昨年もらった一通の手紙には、古井由吉氏のことが書いてあった。そのとき、吉増さんがインタビューを引き受けられた週刊読書人の記事を一部、送ってくださった。古井氏を「亡き友」と形容されていた。

 

個人的な親交は、まあこう言ってよければそんなに大した話でもないので良いとして、先日もバスで長距離移動する最中この記事を読んでいたのだが、吉増さんの作品の「読み方」は極めて精緻だと思われた。

もっとも、それは既知のことではあった。たとえば折口信夫の最後の弟子である岡野弘彦氏との対談の時にも、あるいは赤坂憲雄氏との対談の時にも、詩人は御相手の本を何冊もかかえて登壇されるのだが、携えられた本にはかなりの量の付箋が貼ってある。そして、なになにさんが何年か前に上梓された本のどこどこにはこうこうこう書いてあるのが、数年後に書かれた本のなかではこれこのように言われています……などという発言が普通に頻発する。

記憶が正しければ、自分が最初にそんな光景を目の当たりにしたのは、岡野弘彦氏の短歌に描かれる富士山の様子が、年代によってまったく異なっていることを指摘した場面だったと思う。

そういう鋭い眼差しは、茫然ながらも、研究者はもたないような・もてないようなものだな、と感じた。古井由吉追悼の記事(インタビュー)でも、そういった、恐るべき詩人の眼の力が、濃厚に感じられる。

 

 

 

ところで、『ヨーロッパ美術紀行』というトンデモない本が存在する。 粟津則雄を筆頭に、古井由吉、菊池信義、そして吉増剛造という面子でヨーロッパをめぐるエッセイ集だ。

なにを考えていたのか。ボクはこの本を中学時代(だから、いまから6、7年前)になんとなく手にとって読んでいた。御四方のことは当時まだ知らなかったけれど、内容が面白かったので記憶には残った。しかし先日、数年ぶりに読んだ(今ではもちろん粟津、古井、菊池、吉増諸氏の仕事をちゃんと知るようになった)とき、あまりの顔触れに吹き出したものよ。