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すべて真実

「それは最初に与えられるものをすでに支配している」 ――家系と病

 

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Joseph-Hugues Fabisch『Oedipus at Colonus』

 

無意識は、私の記憶の中の空白によって記されたところの、あるいは嘘によって埋められたところの一章なのである。

すなわちそれは、検閲された章である。

 

ラカン / 竹内迪也「精神分析における言葉と言語活動の機能と領野」『エクリ I』

 

 

正歌            対歌

むごき呪いと禍の中に    生まれし子がまた生む父たりし

いたましく運命は変りて。  いまわしき縁をあばきぬ。

 

ソフォクレス / 藤沢令夫『オイディプス王

 

 

人が病む。訊くと、そのひとの親もまた…。離婚も同様かもしれない。離婚した親の子も離婚すると言われる。実際、わたしの経験上その実感は大きい。あるいは、家庭環境がそっくり継承されることもしばしばある。父母は不仲だが、祖父母もまた不仲である。そんな不可思議さが世にはあるようだ。

中学時代の同級である白田(しらた)とは、よく、この話に及ぶものだ。親がああなら、自分もそうなるのではないか。そんなことを考えたこともあるだろう。彼もまた、そう思ったことがあるかもしれない。

 

こういう思想は、古今東西らしい。親の因果が子に報い。この場合「因果」とは仏教由来だが、仏教経典や仏教説話において因果や回帰は主要なテーマである。

西欧の神話や伝説、文学にもよく見られる。ことにソフォクレスのエディプスは父の犯した罪、そしてその罪によって与えられた呪いが、息子とその娘にまで、つまり、三代にわたって呪詛が継承されるという恐るべき設定がなされている。

 

 

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William Henry Rinehart

『Antigone Pouring a Libation over the Corpse of Her Brother Polynices』

 

 

古典的な精神病理学では、心的な病は家系的なものだと考えられていた。精神分析学もまた、分析家によってはそのように見当をつけていた。ラカンがそうである。50年代のラカンの思想、すなわち中期の彼の思想では、無意識とは真理であり、真理とは身体や記憶に書き込まれていると考えられた。エクリには「それは最初に与えられるものをすでに支配している」という文言をはじめ、たびたび無意識の継承をめぐるテーゼが登場する。

 

 

––––記念碑の中で。これは私の体である。つまり、神経症のヒステリックな核である。そこでは、ヒステリックな徴候が言語活動の構造を示し、記述されたものの如くに解読される。それは、一度まとめられると致命的損失なく破壊されることができる。

––––古い記憶の中でもまた同じく。これは私の幼児の記憶である。その発生の源を知らないうちは古い記憶とまったく同じに、その内容に立ち入ることはできない。

––––意義の進化の中で。これは、語彙の蓄えと受け入れ方とに応じたものである。そしてその語彙は、私に特有なものである。それは、私の生活の流儀と性質に応ずるようである。

––––結局、その章の前後にあってそれを取り囲んでいるかたちの、他の章の中にある不純な章との結びつきから強制される歪みが、除去することができず保存しているような痕跡の中で。私の解釈がその意味をふたたび確立するだろう。

 

ラカン / 竹内迪也「精神分析における言葉と言語活動の機能と領野」『エクリ I』

 

 

注目するべきは、「その章の前後にあってそれを取り囲んでいるかたちの、他の章の中にある不純な章との結びつきから強制される歪み」という文言である。これは主体(の無意識(ここでは「章」と換喩表現されている)が、主体は前後の章ないし他の章、すなわち、先祖や家庭の人々という主体の無意識と不純な関係を結んでいるということである。それゆえに、この時期のラカンにとって真理––––無意識、病の起源とは、そ知らぬうちに家人によって決定づけられると考えていたといえる。

また、周知のようにラカンによるこの真理の伝達という思想をジャック・デリダは批判し、のちにラカン自身も症状―書き込まれた無意識の継承において重要な位置を占める概念、<父の名>の再検討をおこなうことになる。

もっとも、ラカンはエディプスやアンティゴネーを否定的にみているわけではなく、むしろ自己の欲望に忠実に死んだ点において、「英雄」の価値を与えている。これについては、いずれ書く。

 

 

‥‥‥と、ここにつらつら書いてきたのは、白田との対話のなかでたびたび自分のなかで思われていたことである。白田とこういう話をするようになったのは、おそらく高校時代後半からである。それは必然的だった。なぜなら、彼の家庭環境が大きく揺らぎはじめた時期と対応しているからである。わたしは彼から話を聴く身分を名誉だとも思っていなければ、自分がそれに値する人間だとも到底思ってはいないが、不快でないことだけは確かである。前提的に、彼とはいい友人関係が築けていることをお互いに知っているし、信じているからである。ここに書かれたものは、白田との時間への郷愁に捧げられている。