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すべて真実

不飲酒戒について

 お前は仏教学専攻なんだから仏教についてもう少し書きなさい、というお叱りを受けたので、ちょっとの間、仏教関連のことを連投することにする。今回はゼミ提出用レポート。

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1.前提と目的

 釈尊が不飲酒戒を制定した契機は『四分律』『十誦律巻』『摩訶僧祇律』『弥沙塞部和醯五分律』『根本説一切有部毘奈耶』のいずれにおいても,弟子サーガタをめぐる物語である点で一致をみる.もっとも,これら五律を比較した場合,それぞれ内容に差異を認めることもでき,ことに『根本説一切有部毘奈耶』においては本生譚が挿入されている点で他の4種とは著しい相違があるといえる――したがって換言すれば,『根本説一切有部毘奈耶』を例外とすれば他の4種の間に極端な違いはない――.また,この4種で語られる内容と南伝が伝える律における飲酒戒の物語とが基本的に同一である点を鑑みれば,現存する律のいずれにおいても,不飲酒戒の発生にはサーガタが関与していることは確固たる事実であるといえる.

 本レポートでは,相互に部分的一致をみせる『根本説一切有部毘奈耶』以外の律典中の記述を参考に,どのような経緯で不飲酒戒が制定されるにいたったかを確認する.本来であれば詳細な比較をおこないたいところだが,紙幅の事情もわきまえて,律典同士で共通する部分を指摘するかたちで概略を述べるにとどめる.

 

2.典拠と内容

 不飲酒戒が定められる経緯,すなわちサーガタと酒の物語が登場するのは以下のとおりである.なお,各小題は大正蔵,『南傳大蔵經』を参考にした.

 

・『南伝大蔵経 律蔵 経分別(大分別)』「波逸提五十一」[1]

・『四分律』「九十單提法の六」[2]

・『十誦律』「巻第十七 第三誦之四」[3]

・『摩訶僧祇律』「巻第二十 單提九十二事法を明すの九」[4]

・『弥沙塞部和醯五分律』「巻第八彌沙塞」[5]

 

 すでに指摘したように,これら5つの文献は,各々その内容を部分的に一致させる.というのも,①バラモン者の家に棲む悪龍をサーガタが成敗する,②サーガタが人びとからの御礼を受け飲酒する,③サーガタが泥酔し釈尊に無礼をはたらく,④釈尊が飲酒戒を定める,という4つの状況をいずれからも発見できるからである.以下,この4要素に着目しつつ,5文献を参考に物語の概略を確認しよう.

 あるとき,釈尊率いるサンガはシダ国(ないしコーサンビー)を訪れていた.そこにひとりのバラモンがおり,彼の家にはアンバティッタという悪龍が棲んでいるという.アンバティッタは極めて兇悪な怪獣で,近隣の住民に害を与えたり,天候をあやつって田畑を荒らしたりしている.バラモン(ないし人びと)は釈尊(あるいはサーガタ)に助けを乞い,サーガタは悪龍と決闘することになる.龍は火を吐いて攻撃するが,サーガタは火焔三昧にはいりアンバティッタを成敗する(ないし仏教に帰依させる).こうしてアンバティッタに脅威を怖れる必要のなくなった人々はサーガタを敬い,彼のために御礼をつくす.サーガタは申し出に対し在家時代に自分が好んでいた酒を所望し,これを飲む(もっとも,律によっては水だと勧められたものが酒だったり,酒だと思わずに飲んでしまったりしたとの記述もあり,律によってサーガタの態度に差異がある).こうしてサーガタは泥酔し,極めて醜悪な失態を繰り返し,釈尊に無礼をはたらく(たとえば釈尊に足を向けて倒れるなど).これを受けて釈尊は,弟子ないし阿難に対し,酒は仏法を忘れさせ,また不敬を働かせるために飲まれるべきでないと告げる.たとえば下に掲げる『四分律』においては,借損は飲酒戒の制定に先だって酒が誘発する10の過失を説明している.

 

佛告阿難.凡飮酒者有十過失.何等十.一者顏色惡.二者少力.三者眼視不明.四者現瞋恚相.五者壞田業資生法.六者増致疾病.七者益鬪訟.八者無名稱惡名流布.九者智慧減少.十者身壞命終墮三惡道.阿難是謂飮酒者有十過失也[6]

 

 

 したがって,酒によって他者に迷惑をかけることを諫める目的が釈尊にとっては第一であり,この点に戒の基本的な性格――仏法の信仰精神とサンガ内の秩序保持を認めることができるだろう.

 

3.おわりに

 以上,飲酒戒が制定されるに至った経緯を概観した.しばしば不飲酒戒は,五戒のなかでもひときわ特異な戒と考えられてきた[7].たとえばほかの4つの戒がジャイナ教のマハーヴラタと共通するのに,飲酒戒は例外であること[8].場合によっては飲酒が認められることなどの理由によってである[9].この意味で,飲酒戒ならびに行為としての飲酒は仏教思想的にも示唆に富んだ存在であるということもできよう.

 

 

 注

[1] 木村省吾,長宗泰造,『南傳大蔵経 第二巻 律蔵二』,(大正新脩大藏經刊行會,1937).

[2]正蔵No. 1428佛陀耶舍,竺佛念訳『四分律』.

[3]正蔵No. 1435 弗若多羅,羅什訳『十誦律』.

[4]正蔵No. 1425佛陀跋陀羅,法顯訳『摩訶僧祇律』.

[5]正蔵No. 1421佛陀什,竺道生訳『弥沙塞部和醯五分律』.

[6]正蔵No. 1428佛陀耶舍,竺佛念訳『四分律』T1428_.22.0672a16 ~ T1428_.22.0672a21.

[7] たとえば杉本卓洲,「飲酒戒考」『金沢大学文学部論集 第5巻』(行動科学科篇,1985).

[8] 杉本卓洲の「飲酒戒考」はまさにジャイナ教の戒との比較から飲酒戒の特異性を指摘するものだが,ジャイナ教でも飲酒は7つの「悪徳」に数えられることを念のため付言しておきたい.

[9]四分律』に「若有如是如是病.餘藥治不差以酒爲藥.若以酒塗瘡一切無犯 無犯者」とある(T1428_.22.0672b16 ~ T1428_.22.0672b18).

 

 

 

 

参考・引用文献

木村省吾,長宗泰造.『南傳大蔵経 第二巻 律蔵二』.大正新脩大藏經刊行會.1937.

杉本卓洲,「飲酒戒考」『金沢大学文学部論集 第5巻』.行動科学科篇.1985.file:///C:/Users/sugiy/Downloads/KJ00000706460.pdf

堀田和義「ジャイナ教在家信者の 7 つの悪徳」『印度學佛教學研究第65巻第1号』.日本印度学仏教学会.2017年.https://www.jstage.jst.go.jp/article/ibk/65/1/65_282/_pdf/-char/ja

森章司,本澤綱夫.「サーガタと飲酒戒因」『コーサンビーの仏教』.「中央学術研究所紀要」モノグラフ篇 No.14.http://www.sakya-muni.jp/pdf/mono14_r19_005.pdf

 

謝辞

本レポート作成にあたっては,大蔵経テキストデータベース委員会が運営するSAT大正新脩大藏經テキストデータベースを活用しました.運営者諸氏に篤く感謝申し上げます.