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すべて真実

経量部について

 

五世紀のインドの代表的知性のひとりに仏教哲学者 ヴ ァスバンドゥ(Vasubandhu 世親)がいる。彼の初期の大著『阿毘達磨倶舎論』(アビダルマの庫 Abhidharmakśa : abbr.AK)全九章は説一切有(Sarvāstivādin)のなかで も保守的路線 をとるカシミール系ヴィバーシャ学徒(Kaśmirā - Vaibhāṣḥika)の教義を体系化した学説綱要書の決定版として名高い。しかし、それに劣らず際立つのは、そういう有部の保守的学説の根幹部を痛烈に批判してやまない或る急進的な学説が著者自身の賛同つきで同書内に導入され、対置されているという事実である。有部陣営にとって、 このような措置は背信行為にほかならない。この背信行為は有部側 の激しい憤りを駆りたて、やがて著されたサンガバドラ(Saṅhghabhadra 衆賢)の 『阿毘達磨順主理論』(Abhidharmanyāyānusāra)および作者不詳の 『アビダルマ灯論』(Abhidharmadīpa :abbr. AD)においてすさまじい反撃を蒙

る。

ヴァスバ ンドゥは自身が導入したその急進的学説に対して「経量部」(Sautrāntika)という呼称を冠する。従来、経量部といえば、『阿毘達磨大毘婆娑論』(アビダルマ大註解書 Abhidharmamahāvibāsā)に初めて登場する讐喩者(Darstantika)と同一か、もしくは、それを源流に仰ぐ後代の学派と考えられてきた。 けれども、加藤純章氏の文献学的成果によれば、現存する文献中、「経量部」という学派名の初出はまさに『倶舎論』からなのである。そうであれば、ヴァスバンドゥこそが「経量部」の創始者だったとみなされてよいのでばなかろうか。

 

原田和宗『言語に対する行使意欲としての思弁(尋)と熟慮(伺)    ーー経量部学説の起源(1)

 

 

 

N島先生とのお話で知った。経量部は有部の内部から出てきた(有部の内部にあった)という説。上の原田論文のほか、梶山雄一も「世界・存在・認識」『岩波講座 東洋思想第10巻』のなかで同じことを言っている。

原田が言っているように、説一切有部経量部は思想をしばしば対立させる。たとえば、空間を実在ととるか観念ととるかという議論では、説一切有部は実在性を認めており、経量部は観念であると説いている――ちなみに空間を観念ととるのは中観や唯識においても同様である――。

このように説一切有部経量部は思想を対立させるのだが、中観や唯識、認識論に対してもまた、経量部は影響を与えている。もっとも、ボクはこのことを最近までまったく知らなかったよ。認識論を齧りはじめたから知り及んだのである。

ディグナーガは外界の対象を対象とする認識も、窮極的には自己認識であると言っている。自己認識とは知覚知にせよ概念知にせよ、いずれにしても知として取り込まれた形相が、知自身によって認識される経験である。桂によれば、ディグナーガのこの自己認識の思想は、経量部の説に由来しているという。

 

もっとも、加藤純章は経量部の祖をヴァスバンドゥであるとする説を否定しているらしい。

 

 

それに反 して、加藤純章氏はこの分野屈指の名著『経量部 の研究』において讐喩者 の流れを汲むシュ リー ラータ(Bhadanta-Srilata)のほうが経量部の創唱者 にふさわしいという魅力のある仮説をすでに提出しておられる。

 

原田和宗『言語に対する行使意欲としての思弁(尋)と熟慮(伺)    ーー経量部学説の起源(1)

 

 

周知のとおり部派はいっぱいあったらしいのだけれど、文献はマジで残っていない。ただ、先生のお話によれば、たまに出てくるらしい。実際、たまに名前を見かけることはある。でも、一次資料的な仏典にはあまり出てこない印象。

時間があるときSATで調べてみよう。