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すべて真実

カンニングについて

 

わたしが人生で初めてカンニングをやったのは小学生の頃だったと思う。漢字のテストで、粟野の解答を盗んだ。なんの字であったか忘れたが、彼の解答を見たのは覚えている。中学では一度。転校して最初の試験だったはずだ。危うくバレかけて、というよりバレていたのだがシラを切りに切り通して免れた。高校はない。

大学時代のカンニングは無いこともないが、従来と方法が異なった。つまり、このオンライン下での話なので、インターネットを用いたり、あるいは本や資料をめくると言う大胆な方法だった。それゆえ隣の席の奴の字を、目敏く覗くような伝統的なやり方ではなかったといえる。

カンニングの形式というものはあるだろう。あるいは、方法から系統を分類化することもできるはずだ。他者のものを盗むのと、本やインターネットで答えを探すのは違う方法であり、違う形式であり、系統も異なるであろう。このほか質問投稿サイトを用いたやり方や、授業資料を見返すと言う方法もある。

 

さて、わたしの人生において、今日の資料論のテストほど充実したカンニングの経験はなかった。

ろくに予習をしていなかったわたしは、あの記述式の面倒な試験を最初に開いたとき、即座に同輩の鈴木や黄檗に連絡をしようと思った。と同時に、先生がやたら深く憂慮していた理由がわかった(先立って受講者に向けて、「みなさんがきちんと答えられるかどうか心配です」やらなんやら、アリガタイコメントを配信してくださっていたのだ)。

とりあえず一通り自分なりに穴を埋めたのち、鈴木と黄檗と情報交換する。この問題はどうだったか、あの問題はどうだったか。彼らに聞き、またわたしが彼らに教える。そんなやりとりを続けたものだが、残念ながら彼らの思惟の及ばない問題が出てしまった(わたしにもわからなかった)。そこで、一縷の望みを頼りに恋人(彼女も学芸員志望者ではある)に教えを乞うた。しかし、当然の話だが授業を受けていない彼女に、何が教えられようか。彼女は哀れみと嘲笑の言葉を掛け続けた。

これは困った。どうしても指の動かない問題があったので、恐縮ながら富栄に連絡をした。彼女も同輩で同じ授業を受けている。彼女なら知っているだろう。学芸員には何が望まれているのですか?

やはりわたしのようなボンクラとは違うものだ。彼女はさまざまなアドヴァイスをくださった。もっとも、その少し後に鈴木が情報をくれた。彼もボンクラではない。黄檗も恋人も。ボクだけなのだボンクラは。感謝しても仕切れない。

 

ところで、今日のような形式のカンニングが行われるには、前提として〔カンニングに対して〕理解ある友人なり知人なりがいなければいけない。世には貸し借りを要求する者や、嘘を教える奴もいるだろう。だが、幸いなことにも彼らは違う。そんなことをする人々だとも思っていない。彼らが応えてくれるかどうかについては、窮極的には重要でない。断られても納得するし、恨みもしない。もっとも、これはそもそも論だが、そもそもわたしは人に答えを聞くことはないのだ。今回が異例で、おそらくそれは彼らにとってもそうだったであろう。

 

カンニングに歴史はあるのだろうか。洋の東西を問わずカンニングは古くからあったのではないか。石川啄木が放校処分か何かになったなら知っている。わたしが言ってるのはもっと古い。古典に書かれてはいまいか。誰か知らないか。

 

試験時間のなかで一種異様の楽しさがあった。毎週課題を出していても試験の点数が悪ければ単位はやらないという比較的厳しい状況下のなかで、遊んでいるときのように戯れた意識があったと思う。緊張とユーモア。カント的な意味での〈崇高〉との距離は、ここから近いのだろうか。あるいはフロイトのいうようなユーモア(超自我の慰め)が働いていたような気もする。いずれにせよ、奇妙な戯事であったことだけは確かである。