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すべて真実

キエフの外で

 

ショスタコーヴィチの11番について書いたから、鐘が印象的な音楽をいろいろ考え始めてしまった。

 

おそらくクラシック音楽で「鐘」といえばムソルグスキーの『展覧会の絵』「キエフの大門」だろう。まあラヴェル版になってしまうんだろうが、それでも鐘といえばこれだとろう。たぶん、ラフマニノフの『鐘』を超えるんじゃないか。キエフはBGMによく使われているから。

とはいえ、まあこれはあまりに有名だし捻りがないし――『展覧会の絵』は素晴らしい作品だし好きな一作だ。原典版を好む。今朝も思わずジャケットにどきりとさせられるワレリー・アファナシエフの録音を聴いていた――、個人的に思い起こされる作品たちも、有名どころじゃないものが少なくない。そういうわけで、キエフの外の鐘をみてみたい。

 

日本の作品から。

日本の鐘といえば、まず本釣鐘である。

本釣鐘を駆使した曲としては、個人的に歌舞伎『日本振袖始』を挙げたい。本釣鐘は、たいてい歌舞伎ではしんみりとした場面の情景描写に活用される楽器だが、この作品においては雷の表現をなす楽器として使われていて、かなり激しい演奏が繰り広げられる。もっとも、常に響き続けるわけではないのだが、数が少ない分、印象的に響く。余談だが『日本振袖始』はそもそも囃子方のバラエティが豊かである。通常の長唄連中にくわえ、胡弓なども加わる。原作は近松門左衛門だが、台本は明治期だった気がする。

本釣鐘は仏教儀礼でも重要な楽器である。それこそ先日記事にした黄檗宗の梵唄でも一役かっている。勤行に先立つ皷楽のみの演奏部分などで積極的に使われている。また、法相宗の悔過声明においても、最終場面の行道において大太鼓と対話的な奏法を聴かせる。生で聴いたとき、なかなか感動的だった。

 

いやいや、仏教の鐘といえば梵鐘だという人もあるだろう。実際、梵鐘マニアというのはいるようである。古いLPやCDでひたすら名だたる寺院の梵鐘を収録したものはあるし、つい3年前にも坪井良平の『日本の梵鐘』が復刊された。大正大学の図書館は早々にこれを入荷していて、たまたま入荷日に新着本として本書見つけ、捲ってみたものである。なかなか面白く、手許に自分のメモめいたものもある。特に「和鐘を含めて極東の梵鐘の起源を尋ねると、その源流は支那の古銅器にその端を発するものとみるべきである。支那の古銅器の鐘は殷末からその遺品があって、礼楽に必要な国の重器として尊重されたものである。 (P142)」という一文が印象的だった。

そして、この梵鐘に魅せられた作曲家は言うまでもなく黛敏郎で、周知のとおり彼は『涅槃交響曲』を作曲する。黛敏郎は梵鐘から発せられる倍音が一定でない現象に着目し、検出される音をパラメータ化する方法で『涅槃交響曲』をつくったが、近年の研究ではパラメータ化は成功していなかったようである。代わりに八木秀次(保守論客じゃない方の八木氏)が監修した研究本に掲載された論文を参考にしたらしい。

 

文献のタイトルは資料の最上部に「山下敬治“実験音響学”(八木秀次編“音響科学”オーム社刊)」と書かれている。山下敬治(1899~1969)は,音響物理学者で,京都帝国大学で教鞭をとっていた人物である。山下の「実験音響学」という論文は,オーム社から 1948 年に出版された論文集『音響科学』の第 3 編として収録されており,その第 3 章「音の強さ及び振動数の測定」のなかで梵鐘音の振動数に関する研究結果が示されている(山下 1948: 116-121)。以下,同論文を「山下論文」とよぶ。この書き込みの下には,6 種類の梵鐘音と 3 種類の半鐘音の倍音振動数に関するデータをまとめた表が書かれている。この表にみられる「平等院」,「法然院」,「禅林寺」,「妙心寺」,「華光寺」,「大雲寺」,「半鐘(3 種類)」という書き込みと資料の下部にある「東大寺」の梵鐘音に関する記述(「平等院の鐘の直径:基本周波数を基とすれば東大寺の鐘(口径 9 尺一寸= 2. 76m)は 44c/s の基音を持つことになる。これは Fis2 である」)は,前述した初演時プログラム内の黛による解説の内容と完全に一致している。このことは,資料 3-1 が《涅槃交響曲》のスケッチであることを決定づけているといえる。表やその周辺には,梵鐘の形状やその音響に関し,「直径」,「部分音振動数」,「部分音振動数の比」,「ビートのための付加音」,「音量変化」,「部分音振動の比率平均」のデータが記入されている。これらの書き込みと山下論文を比較すると,黛が作成した表には,山下論文から引用されたデータと山下論文にはみられないデータが併記されていることが確認できる。
 黛が山下論文から書き写したデータは「梵鐘の直径」,「部分音振動数」,「梵鐘振動数の比」である。……(中略)……

 東大寺の梵鐘音に関しては資料の最下部に記述されている。東大寺の梵鐘部分音の振動数は山下論文のなかでは言及されていないが,梵鐘の直径と梵鐘音の振動数間にみられる一般的な関係については「すなわち鐘の振動数は大體直徑に逆比例することを知る」という指摘がなされており(山下1948: 117),黛は山下のこの指摘を手掛かりに東大寺の梵鐘音における基音の振動数を算出したと推測できる。

 

高倉優理子「黛敏郎《涅槃交響曲》と《曼荼羅交響曲》の成立過程比較 ――「Campanology資料」の分析を中心に―― A Comparison of the Compositional Process between the <i>Nirvana Symphony</i> and the <i>Mandala Symphony</i>: An Analysis of the "Campanology Documents"」

 

黛敏郎はカンパノロジーを作曲する前に、梵鐘と声明の音の響きこそ自分の音楽のバックボーンであるといっている。彼は「交響曲のための≪カンパノロジー≫」を作曲する前に、梵鐘の音に含まれている音色と唸り音の分析を行ったが、この分析のためにNHK技術研究所から藤田尚、安藤由典研究員も参加した。また、分析作業の始めに電子音楽スタッフは、日本各地の有名な梵鐘の音を収録し、その基本周波数を周波数カウンタで測定しようとした。ところが、梵鐘の音は周波数が常時変化するので、その値を測定することは当時の測定器ではうまく行かなかった。そこで、絶対音感の持ち主に音高さを聴いて貰ったがやはり鐘の音高は確定できなかった。そして、制作スタッフは、この音高の変化と梵鐘特有のビート音(唸り音)が日本人の心に癒し感を与える「諸行無常の鐘の音」の本質であろうと考えた。

 

「音の始源を求めて 第6集」解説.

 

 

すでに長くなり始めてきたのでそろそろ終わりにするよ。もっといっぱいあるんだが、最後はボリス・ティシチェンコのピアノ曲から。

 

 

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Boris Tishchenko(1939~2010)

 

ボリス・ティシチェンコはレニングラード出生の作曲家でショスタコーヴィチの弟子にあたる人物。ちなみにショスタコーヴィチ絡みでいえば、ショスタコーヴィチの作品に影響を与えていたり、彼の『証言』の誕生に深くかかわっている――念のために付せば完成後に偽書として告発した人物のひとり――など、いろいろ重要な働きをしている。

ティシチェンコの仕事でどちらかといえば有名な『ピアノソナタ 第7番』 はピアノと鐘のための作品。ピアノのクラスターが暗鬱な雰囲気を醸し出したかと思えば、急に諧謔的な旋律を奏ではじめ、鐘が重厚な音を響かせる。神秘的でさえある。

 

 


Sonata No. 7 for Piano with Bells, Op. 85, in C Major: Andante. Allegro