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すべて真実

高利貸たる死

 

・高利貸たる死

 

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Masolino da Panicale 『Tentazione di Adamo ed Eva 』(部分)

 

運命(いのち)が二重であったとしても、二つに分割されてきたとしても、目下、私は人生の支払期日に近づいています。断じて一種の借入金でしかなく、高利貸たる死に返却しなければならない自分の人生を私は費やしてきたのです。その日付はまだ決ってないにせよ明らかに迫っています。支払期日はあらゆる物事に訪れます、管理の都合から時による拍子をつけられて。

 

エルザ・トリオレ  /  田村俶訳『ことばの森の狩人』

 

 

・長い昼のあとの夜

 

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El Greco 『The Holy Trinity』

 

時は、事件をいっぱい詰めこまれて死者をつくりだし、支払期日に達して解体する人々を手放すのです。今や、時の巻貝のなかで世界は空高く漂っていますが、やがて、急場をしのいで元の姿にもどるか、落ちてきて顔をぶち割るかするでしょう。自分のために幾千年にわたる黄金時代を手に入れるか、それとも、ひどく傷ついて、身動きひとつできず砕けた骨が癒着するのを待つでしょう。 より良い跳躍のためにこそ後退するのです、おそかれ早かれ償いをつけなければなりますまい。一番長い昼のあとにも夜はやってきます。すくなくとも今までは、事態はいつもそういう具合に経過しましたし、うまい手段はないのです、今までは松明か燃えたマッチをいつも手渡さなければ ならなかったのです。こんなふうに私どもには行きつく先は金輪際わかりません。私はもうそこへ到達したいと望み、期待で胸はいたみ、ために私の体は震えて足をすべらせ……。

 支払期日。何ごとにつけ私はいつもきちんと支払ってきました、だが、いつも私は体のすみずみまで借金を背負いこんでいる気持なのです。ことを一つ一つ体験すると、また一つ借金がふえる、といった具合。 

 

エルザ・トリオレ  /  田村俶訳『ことばの森の狩人』

 

 

・死への挑戦

 

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Francis Bacon 『Dog』

 

私の砂粒の意志は、とるにたりない彼らの意志をくじくことができる、つまり、私が欲するなら、この私の支払期限を早めることはできる。自分に好都合なように私は死に挑戦する以外には手の打ちようがありません。というのも、向う側では死は歩きだし、解答を出し、実現されつつあるのだから。挑戦が上首尾におわると、とりわけ大切なのは自分の欲する事柄に充分な確信を抱くことだ。死への挑戦では、決定的な敗北以外には勝利を収められないのだから。

 

エルザ・トリオレ  /  田村俶訳『ことばの森の狩人』

 

 

ほんのわずかな時間であったとしても、読む者の個人的な経験、まさに過去から現在を刺激し、その脈動とか息遣いを生々しく体感させてしまう文章というものはある。なんと熱烈な文章だろうか。

もちろん、訳の業が負うているところはあるだろう。わたしにとって田村俶とは、せいぜいミシェル・フーコーだけだった。しかし、このトリオレは名訳のうちに入るのではないだろうか。

 

 

・創造の小径

  

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Paul Klee 『Versunkene Landschaft』

 

書く行為……、両手のなかに顔を埋めて囁かれる祈り、日々のパンのそれへのように並はずれた欲求と主題とをこめた、未聞の祈り。砂、砂、砂。いったい、どこを通っているのか、その小径は?

 

エルザ・トリオレ  /  田村俶『ことばの森の狩人』

 

創造の小径ですって? 創造の大気。創造の空閑地。創造の天空。それの潜勢状態。衝撃、異変、歓喜と有頂天、私どもみんなの地球の震え、もしくは各人の個々の惑星の震え……。創造の小径はそれ自体反響(エコー)のありかを通るのです。想像してみてください、あなたがたは、ご存知のように沈黙の砂漠のなかで創造しているのだと、音を出すために必要とするものをもたぬ、砂粒で出来あがっているあの砂漠で。静寂。

 

エルザ・トリオレ  /  田村俶『ことばの森の狩人』

 

 

 

『ことばの森の狩人』は創造の小径シリーズの一冊。新潮社より刊行されている。

エルザ・トリオレこの本の出版を果たし、その1年後に逝去する。遺作は『夜鳴鶯は暁に鳴きやむ』。

引用した画像は、すべて本書に登場をする。