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すべて真実

吉田博とリャド

 

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吉田博『山中湖』.

 

 

現在、上野の東京都美術館で吉田博展が開催されている。

吉田博は新版画の代表的な作家のひとりであり、川瀬巴水を右翼とすれば、吉田博は左翼。この2人を近代版画の両翼とみるむきに、異論はないだろう。

わたしが初めて新版画の存在を知ったのは高校時代のことだったと思う。この頃はまだ、川瀬巴水も吉田博も、「知る人ぞ知る」「海外で話題の」「古美術商が好む」といった評価を受ける、けっしてメジャーの域にはない作家たちだった印象だ。しかし、ここ2年の間にみるみる近代版画を主題とした展覧会が増えている気がするのは、わたしの思い違いだろうか。昨年の神奈川での川瀬巴水展をはじめ、今回の吉田博展、今年の秋冬にそれぞれ開かれる川瀬巴水笠松紫浪の企画展。すくなくとも今から4年前と比較すれば、明らかにその名声は高まっていると言わざるをえまい。

 

わたしは吉田博の絵には些か否定的である。新版画という運動自体、そもそも評価できない点がある。なぜなら、わたしはジャポニスムを否定的に評価しているからである。ジャポニスムに支持された新版画を素直に肯定することはできない。したがってわたしは吉田博を評価するフロイトも否定する――もっとも、フロイトはしばしば自分が芸術を見る目がないとシニカルに言うのだが(たとえばアンドレ・ブルトンへの手紙のなかで)――。しかし、それはそれとして、吉田博の絵を「巧い」とも思えない。吉田博は人物の描写が極めて稚拙で、色彩の区分けがやや平易である。その点、川瀬巴水はどうだろう。おそらく川瀬巴水も人物表現が苦手だったと思う。というより、それはあの規格の版画において逃れることのできない問題なのかも知れないけれど、川瀬巴水はそれをちゃんと「誤魔化している」。陥落を避けるように、常に人物は後ろ向きだったり俯いた姿勢だったり、陰に満ちている。顔を傘や笠をもって隠している。

 

 

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吉田博『落合徳川ぼたん園』.

 

 

 

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吉田博『不忍池』.

 

 

 

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川瀬巴水『春のあたご山』.

 

 

 

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川瀬巴水『駒形河岸』.

 

 

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川瀬巴水『芝増上寺』.

 

 

吉田博の絵画において、「自摺」という語は極めて重要である。吉田博は彫師と摺師を雇用して制作していたが、自分が納得すれば「自摺」の字を作品の枠外に必ず書きこんだ。これは比較的有名な話で、また不思議な話でもある。彫と摺を他者の手に任せた作品でも「自摺」とするのだから。吉田博は19世紀も終わりに渡米するが、どうやらその先ですでに彫師と摺師を雇用していたらしい。実際、アメリカ滞在中の作品(『グランドキャニオン』『ナイアガラ滝』など)にはすでに「自摺」の文字が見える。したがって吉田博は早い段階から自摺の思想を持ち得ていたことになる。

しかし、自摺の字が見えないとなれば、その作品の出来栄えは吉田博が納得しなかったという証なのではないか、と恋人が言った。実際、古美術商の間でも「自摺」の字の有無で値段は変わるらしい。

わたしたちは「自摺」のない作品を探し、4つを見つけることができた。『山中湖』『湖畔の庭』『秋之銀杏』『姫路城 夕』である。なかには吉田博がどの点を良しとしなかったのかいまいちわかりかねるものもあったが、『山中湖』に関しては、水の表現が曖昧だったからではないのか、と我われは推察した。字さえなければ反転してもさほど区別はつかぬような気さえする――なお、記事の冒頭に掲げたのが『山中湖』だが、枠外に「自摺」の文字が見えないことがわかるだろう――。

 

ところで、吉田博の現物を目に、もうひとつ川瀬巴水との違いを確認することができた。それは「運動性」の有無である。吉田博の絵はつねに静止している。だが、不思議なことではない。吉田博は脚を使って山を登る人間だったが、登る人間を作品の主題にはしない。主題は山であって人間ではない。このような傾向は、吉田博が版画に向かう以前の油画時代からすでに窺がえていた。彼の『渓流』は流れておらず、巌の存在感だけが克明に描かれる。最初のアメリカ巡行でも、主題は圧倒的に山や岩石、あるいは建築物である。以後も同様で、人物画もなにか切り取ったような雰囲気を逃れていない。そういう眼差しは、人びとの生活という活動のなかに郷愁を見出した川瀬巴水とは真逆であるといっても良いかもしれない。

だから、吉田博の絵画は絵画でなく写真めいていて、それもかなりスローな写真という印象を受けた。それはあの有名な舟の絵を前にしてのことだったのだが、瞬間、ハイスピードカメラの写真を思わせるトレンツ・リャドの作品を不意に想起し、また両者の差異を考えた。

 

昨年、わたしはトレンツ・リャドの展覧会に行った。最後の印象派といわれるこの画家の絵を間近に見たのは初めてだったが、とにかくうんざりさせられた。リャドの作品のどこが印象派なのだろう。一見炸裂しているかのようなモティーフは、実は凍結している。ごりごりに固まっていて運動性を知らない。運動性のない印象派はいないだろう。わたしは印象派の絵も素直に肯定できないが、モネの絵画を多少とも知っていれば「最後の印象派」などという馬鹿らしい語を易々と口にはしないはずだ。いうまでもなく、モネやセザンヌといった初期印象派の画家たちの絵は、映像だからだ。ゆえに、リャドの作品は印象派的でない。写真的なのである。しかも炸裂の瞬間という凝り固まった状況が多いから、わたしはハイスピードカメラ的だと思った。

また、リャドの絵にみられる画面上の矩形。これはリャドの作品における特徴だが、<リャド・フレーム>といわれるらしい。正に、文字通り、「フレーム」なのである。‥‥‥もうひとつ余談だが、リャドの絵に記された字は極めて雑である。その事実にも困惑した。‥‥‥

しかし、本当にうんざりさせられたのはリャドの絵を「美しい」といって憚らない観客、ではなく、その観客たちにリャドの魅力を語って売るバイヤーだった。売ること自体は問題ないのだけれど、嘘くさい美術史や批評的な言説を糧にしている様子にはげんなりとした。「骨董屋の口車に乗せられてはいけない」という、なにかの評論で読んだ一文が、ぐるぐる頭のなかで巡ったものだった。