仏教音楽の記事は前に書いたが(↓)、キリスト教音楽を記事にするのは初めてかも知れない。
Graduel d'Aliénor de Bretagne / Gradual of Eleanor of Brittany - Kyrie tropé "orbis factor"
わが愛聴の聖歌「Kyrie:Orbis factor」(エレノア写本 13C~14C)。
優しいポリフォニーが味わい深く、随所に多用されるメリスマがあだかも民謡のような雰囲気を与える――トルミスの合唱曲を想起する――。
「Kyrie(憐みの礼法)」なだけに主の慈悲を一心に乞う。どこか物哀しい旋律も相俟って、切実な雰囲気に充ちている。屈指の名曲――名演奏だ。ああ、なんと官能的な女たちの声......!――低声を制御する男性も素晴らしい――。
以下、動画と歌詞の原文、それから拙訳を付す。原文と英訳を参考にしている。
もっとも、ラテン語は言葉通り僅かに齧った程度だし、教会の知識には極めて疎い。英訳に誤りも見受けられた。あくまで趣味の次元の出来上がりである。
Orbis factor rex aeterne eleison
Kyrie eleison世界の創造主,永遠の王よ,憐みください.主よ,憐みくださいPietatis fons immense eleisonKyrie eleison慈悲深き大いなる王よ,憐みください主よ,憐みくださいNoxas omnes nostras pelle eleisonKyrie eleisonわたしたちのすべての罪を除き,憐みください主よ,憐みくださいChriste qui lux es mundi dator vitae eleisonChriste eleison救世主よ,世界の光,生命を与えてくださる者よ,憐みください救世主よ,憐みくださいArte laesos daemonis intuere eleisonChriste eleison悪魔の仕業によってなされた瑕を見守り,憐みください救世主よ,憐みくださいConfirmance te credentes coservansque eleisonChriste eleison御身を信じ,護る者たちの力を高め,憐みください救世主よ,憐みくださいDeum scimus unum atque trinum esse, eleisonKyrie eleison我々は知っております,御身が光であらせられ,また御身の父が光であることを,憐みください主よ,憐みくださいPatrem tuum teque flamen utrorumque, eleisonKyrie eleison御身のひとつであり,また三位であらせられる,憐みください主よ,憐みくださいClemens nobis adsis paraclite ut vivamus in te eleisonKyrie eleison我々の傍らにおられる御身の,その慈しみのなかで,優しき主よ,我々がそこに生きることの叶うように,憐みください主よ,憐みくださいKyrie:Orbis factor
――――――――――――――
さて、以下解説。
フランス北西部。ブルターニュ地方に構えるフォントヴロー修道院には『エレノア写本』という華麗な写本が伝わっている。「エレノア」という名は、かつてここの修道院長を務めたEleanor of Brittany (1275 – 16 May 1342) に由来している。
エレノア写本は装飾的な図像が印象的で、この時代の様式をたたえた聖歌が数多く収められたコデックスとして知られるーーつい最近まで全頁がオンライン上で公開されていたのだけれど、今見たら無くなっていたーー。(2021/02/13追記: 別の場所にあった
フランスを拠点に活躍するマルセル・ペレス / アンサンブル・オルガヌム――Marcel Pérès / Ensemble Organum――。は、随分前にこの写本の音楽を録音しているのだが、これが実に素晴らしい。わが愛聴の名盤の一枚だ。最初に貼った動画の演奏も、彼らのものである。
アンサンブル・オルガヌムといえば、いわゆる今日正統とされるような聖歌の歌唱法が確立されるより以前の唱法――あるいは、非カトリック的と言った方が良いかもしれない――を駆使した演奏で知られる団体で、かなり賛否両論の多い演奏集団ではある。この録音でもパラフォニスタ、そしてイソクラテマといったビザンティン様式に顕著な唱法を導入している。しかし、率いるマルセル・ペレスはこの分野の世界的権威だし、自らの研究に基づいたアプローチを執るという態度は、それだけに堅固だ。
この録音集の評価は(世界的に)高く、 とくに「Kyrie: Orbis factor」は人気曲のようだ。ぼくもその一人なわけだが、曲のエモさとは別に、興味をそそられる曲だ。というのも、「Orbis factor」とは、本来有名なグレゴリオ聖歌のミサ曲の名前なのだが、『エレノア写本』に収められた――つまりアンサンブル・オルガヌムが録音した――「Orbis factor」は、それとは異なる修道院独自の「Orbis factor」なのだ。いわば「異本」のようなものだ。もっとも「Orbis factor」というミサ曲集を作成したわけではないようで、あくまでグレゴリオ聖歌のミサ「Orbis factor」の「Kyrie」だけを独自に編曲したようだ。
下はいわゆる普通のグレゴリオ聖歌版ミサ「Orbis factor」の「Kyrie」。
このように、旋律はグレゴリオ聖歌のミサ「Orbis factor」の「Kyrie」そのもので、大きな違いといえば詞章が多い点だろう。
それだけになんと唱えられているのか気になり、和訳も無いので自分で訳してみようと思ったわけだ。随分乱暴な話だし、終盤に近付いて、たまたま教会関係者の人間が翻訳をネットにあげていたのを知った。幸い殆ど内容は間違っていなかったので安心したが、唯一、最後だけ、その方は「われわれに恵み深くあられる汝は御霊と共に臨在され、かくして我々は汝の中に生かされている」という訳され方をしていて戸惑ったが、ここは英訳を参考にした。
明日あたりから、別の『エレノア写本』の曲を翻訳しようかな。好きな曲がいっぱいあるのだよ。
もう一つ、今日中に別の聖歌を記事にするつもりでいる。