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すべて真実

仕合わせな時間

 

3月14日。

2年ほど暮らした仮家を引き払うために荷物を纏める恋人の手伝いに行く。想像のとおり仕事は手付かずなところが少なくなく、翌日に控えた搬出に向けて働くことに。山崎の梅酒を抱えてきたので一二杯ほど吞んでから作業開始。

夜は前祝いを兼ねて吞み屋へ。つい1週間ほど前にも寄ったが、御店主との話が楽しかったので今回は思い切って恋人と並んでカウンターへ坐す。民俗学や長野の土地にたいへん明るい方で、仏教への関心も深いようで話に花が咲く。暖簾をはずした後も話はつづき、3月の奈良は所々で仏教儀礼に賑わっていること、善光寺五来重のこと、長野の各地を旅した詩人・田中冬二のことなどを話す。2時間弱で清酒10合。最後は田酒を燗につけてもらい鮪の酒盗が嬉しい。帰宅後は梅酒を湯で割り〆の飯をかっ喰らって寝る。

 

3月16日。

15日に無事荷物を引き払うことが出来、馴染の古書店に連絡をいれたら休業日のところを開けてくれたので恋人と参上。取り置きしてた本(フロイト、バルト)を買いに行く――実は昨晩にも来ていて恋人が鈴木牧之の『北越雪譜』を買った――。

この日、自分が大正大学で仏教を専攻している人間であることを御店主に伝えたら、実は戦後間もない頃の庚申塚に印刷所をもっていて、吉岡義豊(文学部教授、文学部部長)の著作を手がけたこともあったという。大学にも訪れたこともあり、そんな思わぬ縁に御店主の眼も輝いて、仏教書のあれこれ、自分の研究テーマ、当時の大学周辺の古書店のこと、近隣の寺や信仰、店秘蔵の古書の話に沸く。また、聞けば生前の埴谷雄高の宅に行っていたこともあったらしく、思わず胸が熱くなる。暖かい声で面白い話をたくさんお伺いできた。軽井沢にある、加賀乙彦氏が館長を勤める高原文庫の誘いをお受けする。夏の予定ができた。

バイト先に向かうバスのなかでパンを食みながら『文士の肖像』を捲る。途中からバルトに切り替え、「オイディプース」と名づけられた章を読む。

 

 

「父」の死は文学から多くの快楽を奪うだろう。「父」がいなければ、物語を語っても何になろう。物語はすべてオイディプースに帰着するのではないだろうか。物語るとは、常に、起源を求め、「掟」との紛争を語り、愛と憎しみの弁証法に入ることではなかろうか。今日、オイディプースと物語が同時に揺らでいる。もう愛さない。もう恐れない。もう語らない。

 

ロラン・バルト「オイディプース」『テクストの快楽』.

 

 

 

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ちなみに、わたしの手許には埴谷雄高の『死霊』定本全5章刊行を記念した「作家の世界 埴谷雄高」(番町書房)があり、埴谷雄高の写真が少なからずある。『畏怖する人間』に収まることになる柄谷行人の「夢の呪縛」も載っている。

おそらく御店主は、この庭のある自宅を訪ねているのだろう。

 

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自宅庭にて.