前回両吟を記事にしたことに契機づけられて岡潔の歌をいまいちど確認しようと思ったのだが、『春宵十話』が見当たらなかった。察するに、近年再評価がなされるこの数学者の随筆を、わたしはある時期から「なにか途方もなく間違っている」気がしてならなくなり敬遠したものなので、どこかの本箱へうっちゃってやってしまっているのかもしれない。
他方で、吉増剛造と古井由吉両氏の両吟が掲載された書物は何時でも開くことが可能で、よく読み返すものである。とはいえこれは両人の歌集というわけでなく、「付録」として載せられたものだ。聴くところによると、吉増剛造、古井由吉、粟津則雄、菊池信義の四名は連歌仲間だったらしいので、その間柄だからこそくみ交わしが実現したのであろう。
石ノ神 両吟
秋風の更くるや石の聲白し 由吉
ところどころの柘榴がわれて 剛造
山もとは門もほのめく霞にて 由吉
虎口しずかに行く花の雨 剛造
ここに載せたのは一部だが、「石ノ神」は吉増剛造の代表作品『オシリス、石ノ神』に由来するものとみてよいだろう。両吟の載せられた対談集も、それからこの詩集も、ともに石の表面を思わせる黒や金の粒を散らした装幀になっており、連関を感じさせる。
ところで、わたしは或る時、ふと「石ノ神」は「いしのかみ」ではなくて、「いそのかみ」と読むのではないか、と思った。というのも、吉増剛造はこのころ音楽家・柴田南雄の『布瑠部由良由良』の演奏に協力をしていたからで、『布瑠部由良由良』は天理の石上神宮(いそのかみじんぐう)に伝わる反魂の祝詞なのだ。
爾来、わたしは詩集を「いそのかみ」と読むべきだと信じるようになったのだが、たまたまそれから2週間後ほどしたころに詩人とお会いできる機会を得た。そこでこの発見というか気づきをお伺いしてみたところ、詩人はそれを否定することなく静かに言葉を述べた。