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すべて真実

藤枝静男『田紳有楽』と説話『信濃国聖事』あるいは『信貴山縁起』

 

私の身体は主人の垢だらけの大きい手に掴みあげられた。私の全身を戦慄が走った。私は石に叩きつけられて四散するのか。だが主人はそのまま私を胸にあててもう一度山村を拝すると

「滓見白と申す貧僧の姓名をこの丼鉢に与え、これより後は貧僧になり替って幾久しく貴僧にお仕えいたさせることと致します。貴僧のお供として日本国に渡り、何用たりとも即刻に足すことができますよう、この卑しい召使に人間変身術と飛行の力を授けますので、何卒御一見下さいますよう。それ飛べッ」

 絶叫とともに私の身体が宙に放りあげられた。そして空中にはなたれた私は、風を切って滑かに回転しつつ遥かの高みに浮かびあがって走りはじめたのであった。

「痛快、痛快」

 

藤枝静男『田紳有楽』.

 

藤枝静男の『田紳有楽』には、骨董屋に身を変えた弥勒菩薩が従える珍奇な骨董品や生物が登場する。上に引いたのはーー彼本人が述べているようにーー空飛ぶ丹波焼き「滓見(かすみ)」の自己遍歴である。

空飛ぶ鉢。この設定の珍奇さ。しかし、鉢が飛行するという設定は、わが国で成立した説話より既に見える。

 

今回で三回目をむかえる『古本説話集』の記事。このたびは「信濃国聖事」をとりあげる。本話は『信貴山縁起』の類話として知られる、命蓮法師の伝説である。ここでは空飛ぶ鉢の箇所のみ確認しよう。例によって高橋貢の訳註を参考にした。

 

東大寺で受戒した命蓮は、信貴山で「行なひて住まむ」と思い定住する。法師は乞食行のための鉢をもっており、いわく「僧の鉢は常に飛び行きつつ、物は入りて来けり」。つまり、鉢は自ら空中を飛行し、物を蓄えて法師の許へと戻るという。

さて、山里に「いみじき徳人」が住んでいたが、「大きなる校倉のあるを開けて、物取り出でさするほどに」と説話は語る。即ち、鉢は己の力で徳人の校倉の扉を開けて、物を取ってくるらしい。徳人はある時これを無視しようと、信貴山から飛んできた鉢を蔵の隅に投げ置いた。そうして、そのうち徳人は鉢の存在を忘れてしまい、その日の終わりに鉢を残したまま校倉の戸を閉めてしまった。

すると、「とばかりて、この倉、すずろにゆさゆさとゆるぐ」。徳人は「いかにいかに」と騒ぐ。校倉は「ゆるぎゆるぎして、土より一尺ばかりゆるぎ上がる」。その時になって徳人は「まことまこと、ありつる鉢を忘れて、取り出でずなりぬれ、それがけにや」と察する。だが、気がついたときには「この鉢、倉よりもり出でて、この鉢に倉乗りて、ただ上りに、空さまに一二尺ばかり上る」。人びとは集まり、「この倉の行かむ所を見む」と追いかけはじめる。やがて、校倉を乗せて飛行する鉢は河内まで至り、修行する命蓮聖のかたわらに「どうと落ちぬ」。

 

確信はないが、藤枝静男が上述した「信濃国聖事」ないし『信貴山縁起』の物語を参考にした可能性を推理することはできないだろうか。

この推定を支持する証拠として、藤枝静男が仏教に関する深い知見を得ていたことを指摘しよう。

『田紳有楽』は確かに傑出した私小説だが、また、仏教文学と言って差し支えぬ代物だ。それは、たとえばグイ呑みと金魚のC子が交接する際に叫ばれる科白や、エセ乞食僧サイケンの称える陀羅尼から察せよう。

 

私の内部の熱い皮膚が反応しエロチックに膨れてC子をくるみこむように律動しだした。

「子供を生め。子供をつくろう」

 と私は叫んだ。C子がそれに和して叫んだ。

「山川草木悉皆成仏、山川草木悉皆成仏」

 

彼は食事のたびに私を額から頭のあたりに持ちあげて圧しつけたり捧げたりしながら、何回となく「オム マ ニバトメ ホム」と称えながら私の腹の内側を舐め清めたり、・・・

 

つぎに、おそらく、この小説において最も感動的な弥勒菩薩地蔵菩薩による対話の箇所に注目しよう。センチメンタルな気分に浸った二人が、瀬戸内で釈尊の思い出を語らう場面である。そこでは数多くの教理的な誤解を指摘することができるが、人情くささ溢れる描写のなかに、作者・藤枝静男の仏典へのかかわりを予感させるあたたかさのようなものがある。

 

「これが竜華の滝」

 地蔵が冷やかすように云った。やさしい滝だと私は思った。

「お釈迦さんは根からやさしい人だったね。さっきの話じゃあないけど」

「そう、いろいろね。何時もお供であるいていたが」

「私は子供の時分から腰巾着みたいにくっついて歩いた」

 と私は答えた。

 釈遅は成道をすませてからも、ちょくちょくネパールの生まれ故郷に帰ってうろついていた。昔の領地では一族が亡びてもまだ殺したり殺されたりしていた。釈迦は故郷に近づくと食慾がなくなってしまって、洗ったなりの空鉢を持ったなり、托鉢もせずに村はずれをトボトボ歩いてばかりいた。 だがやっばり怖しい人だと思ったこともある。ある晩深い森のなかをさまよっていると急に光が射して、 毘羅天という、他人の喜びを食料にして生きのびているヴェーダの悪神が現れて「あんたのような尊い人が自ら王となって国を治めれば万事解決するじゃあありませんか」と云って誘惑したことがある。すると師匠がいきなり「悪魔よ去れ」と怒鳴りつけた。餡毘羅天が吹き飛ぶように消えて、あたりはまた闇にとざされた。破鐘みたいな声だった。

地蔵が

「私らはどっちつかずだからね」と云った。「師匠は人が死んだ後どうなるかなんて一度も云ったことがなかった。生まれかわるなんて云ったこともなかったしね。そこへ行くと私なんかこっちへ来て以来極楽とか地獄とか六道の辻とか、賽の河原なんて云われて、弱り果ててますよ。まあ嘘も方便、インチキもあんたの来るまでのつなぎだと観念してはいますけどね」

「個の実在はない、何にもない。土になり風になり水になるが自分はない。生せず滅せず増せず減ぜずなんてね。思い切ったことを云ってたな。やっぱりきつい人だった」

「成仏したらそう云うさ」

地蔵がはじめて明るい顔をして笑った。

 

『田紳有楽』における仏教にたいする価値観の記述で特筆するべきは、弥勒菩薩妙見菩薩、そして骨董どもを囲んでの闌の宴となる間近の、丹波焼きと柿の蔕ーーいずれも骨董品ーーによる次の科白だ。

 

「やい丹波、てめえは今朝の新聞を見なかったか。ここにはこれこの通り、今日から五十億年の後には太陽がどんどん膨れあがって地球も月もなかへくるめこまれたうえに、百五十億年の後には一切合財宇宙の彼方のプラックホールと云う暗黒の洞穴に吸いこまれて消え失せてしまうと記してあるぞ。してみれば、誰がこしらえたかわからぬお経に迷って悪業を重ねた末に、たとえてめえ一人が五十六億年生きのびようと、弥勒様の説法はおろか、とうの昔に身体は熔ろけている道理だ。さすればてめえの所業は空の空。これ、日頃の高慢はどうした。返事をしねえか」

「なにを猪ロ才な。たかが紙切れ一枚にふりまわされて見苦しい」

 と丹波はやっと呟いたが縁の震えはとまらず、私も虚をつかれて妙見の顔色をうかがうばかりである。

 

ここでは末法の世に降り衆生を救済する約束を授けられた弥勒菩薩を前に、その来るべき運命が訪れるより以前に宇宙の崩壊が予測されるという、今日の科学的言説によって仏教教理がシニカルに否定される。その熾烈な皮肉は著者の仏教への理解や関心の高さを窺わせよう。そして、この場面は小説全体を俯瞰して考察してみた時、骨董品を手中に実験していた弥勒の超越的な立場が崩壊する瞬間にほかならなず、その意味で作品転換をなす重要な箇所だといえる。

 

藤枝静男が『古本説話集』あるいは『信貴山縁起』を読んでいたか、読んでいたとして援用したか。それは憶測の域を出るものではなく結論を述べることはできない。だが、少なくとも我々は説話の荒唐無稽さに驚くだろう。鉢は飛び、校倉の戸を開け、畦倉を乗せて飛翔する。他方で藤枝静男の痛烈なアイロニーのなかに、学術とは異なった次元でのみ可能な仏教への理解というものをーーシニカルな態度によって仏教の琴線にふれてしまっているという事例をーー認めることができる。