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すべて真実

齎す鬼

 

鬼の行事といえば、長谷からそう遠くもない天河の古社は、毎年節分会として鬼のために一夜の宿をしつらえる。天河神社の鬼迎えの神事――『鬼の宿 神迎え神事』である。

筆者はこれにも行ったことがない。が、父が行っていて、幼少の頃にその物語を聞かされたものである。神社の神官らは鬼のために握飯や聖水を用意し、祝詞だとか経文だとかをお唱えし、鬼を歓待する。これは節分の前夜におこなわれるのだが、一夜明けて鬼を泊めた屋内の桶を見ると、砂が溜まっていることがあるらしい。鬼が身を浄めた明かしとして、人々に喜ばれる。天河の鬼は人々に対し、福を与えると言う。

幼心に、この物語は実に神秘的な譚として印象ふかく記憶に刻まれた。

部屋一枚へだてたところで男どもが呪いの類の文言をうたっている。山谷の寒さが濃やかに充ちる閨、土地の人間が祈りを託した干し梅やら米やらの香りもただよっていただろう。闇を背にして一体の鬼が、握飯を美味そうに食らっている。事を終えると鬼は吉野の手水で身を浄め、用意された寝床へと身を寄せる。明くる日、人々は恭しく閨に入室する。

我が家では昔から「鬼は内」と囃すのだが、これが天河神社の慣いと知ったのは、ここ数年の間のことである。

 

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鬼の宿 神迎え神事
https://www.tenkawa-jinja.or.jp/saitenshinji?lightbox=dataItem-kurmg4s33

 

『古本説話集』は第六十一、「伊良縁野世恒給毗沙門下文鬼神田与給物事」。

越前国の世恒は不仕合せな人物だった。彼はわが身を嘆いて毗沙門天に助けを乞うた

。のちに世恒は毗沙門の霊験を授かり――なお、毗沙門は鬼を制御する天である。薬師寺の鬼追い式で鬼を祓うのは毗沙門である――、家を訪ね来た美女から米を受ける。

月が幾ばくか過ぎると米も尽く。世恒は改めて毗沙門に縋る。すると、また美しい女が世恒の前に現れ、今度は文を与えたという。みると世恒に米を与えよとの内容で、言われるがまま、世恒は米を受けるために遠方の峰へと赴いた。着いた先で「なりた」と呼べ、と女は付言した。

 

そのまゝに行きて見ければ、まことに高き峰あり。

 その峰の上にて、

「なりた。」

と呼びければ、高く恐しげに答(いら)へて、出で来たる物あり。見ればら額に角生(お)ひて目一つ付きたる物の、赤き犢鼻褌(たうさぎ)したる物の、出で来てらひざまづきてゐたり。

「これ御下し文也。この米得させよ。」

と言へば、

「さること候ふらん。」

とて、下し文を見て、

「これは二斗と候へどもら一斗奉れ、となん候ひつる。」

とて、一斗をぞ取らせたりける。

 そのまゝに受け取りて、帰りてのちより、その入れたる袋の米(よね)一斗尽きせざりけり。[1]

 

[1] 高橋貢、『全訳注 古本説話集 下巻』、講談社学術文庫、2001、161-162。