2022-02-01から1ヶ月間の記事一覧
テクストは物神——フェティッシュ——だ。[1] 筆者が専門とする研究において、どうしても対峙しなければならない作家が一人いる。宮沢賢治である。 この間、筆者は主に二人の人物の著作物に時間を割いている。ひとりは宮沢賢治で、読んでいながらふと、宮沢賢治…
前記事について質問をいただいたので応答する。 まず、「ことばにころさせられるまえに」は一つのバラッドとして完成させる事が少なからず目的化されている。これは、フランソワ・ヴィヨンのよく知られた一連のバラッドを想起したことに起因する。また、巫山…
「言葉を語りたい」。そういう欲望を肯定視できる人間の、そのお気楽さを馬鹿にしてやりたい。 小説を読んで、小説を書いてみようと思い立つ。 詩を朗読して、詩を手がけてみようと考える。 良い出来事があったので、日記を今日からはじめてみようと決心す…
鬼の行事といえば、長谷からそう遠くもない天河の古社は、毎年節分会として鬼のために一夜の宿をしつらえる。天河神社の鬼迎えの神事――『鬼の宿 神迎え神事』である。 筆者はこれにも行ったことがない。が、父が行っていて、幼少の頃にその物語を聞かされた…
種々の『百鬼夜行図』を調べているうち、鬼が走っているものがあるのを知った。 百鬼夜行というと、なにやら深夜の往来をぞろぞろ歩いている印象があったのだが、画家によっては疾走感ある妖ども姿を描き出しているようだ――ちなみに、本稿では付喪神の行道も…
説話を読んでいて気がついたのだが、しばしば、鬼は途端に消えるものとして描かれる。 たとえば、『古本説話集』第五十五「摩訶陀国鬼食人事」には人間を喰い殺しつづけてきた悪鬼が登場する。物語において、悪鬼はまずMagadhaに現れる。Magadhaはガンジス川…