■ph■nisis

すべて真実

2021-02-01から1ヶ月間の記事一覧

いやあ

ここんところ閲覧者数が日によってまちまちだったーー10ぐらいのこともあれば50ぐらいのこともあったーーんだけど、きのう今日は立て続けに100を超えたな。12週間ぶりのことだ。 自選記事は下記だな。新しいもの(2週間ほど前)から古いものへと。 pas-toute…

老を向ふるもの

若いうちに死にたいとは思わないが、老いることへの怖気に、二十を迎える直前から震えはじめた、ということはある。 つい先日に一周忌を迎えた古井由吉の、「急坂にさしかかったころ」ーーと本人が言っていたーーに書かれた一作、「辻」ーー短編集『辻』所…

未熟について

私が教員をやめるときは、ずいぶん迷った。なぜ、やめなければならないのか。私は仏教を勉強して、坊主になろうと思ったのだが、それは「さとり」というものへのあこがれ、その求道のための厳しさに対する郷愁めくものへのあこがれであった。教員という生活…

死にたいのなら死ねばよい

ラカン派の精神分析では、しばしば「死すべき運命」なるものが言及される。主体が自らの欲望のうちに死ぬということ、精神分析の倫理にかかわる、「自らの欲望のうえで譲らない」という論理。 実際、ラカンに関して言えば自殺肯定派だからな。治る見込みもな…

正覚考

きのうの夜、zoom呑みの最後は鈴木との一騎打ちで、わたしは正覚講の政治について饒舌に語った。 正覚講とはわたしが参加している勉強会のことだが、鈴木が「ポリティカルな話」をふっかけてきたことを契機に、正覚講こそ政治である、ということを話した。そ…

恥と誇り ――トラウマの神話化、ホモソーシャル

兼ねてよりわたしはこのブログにおいて、次の中井久夫の短い文章をたびたび引用してきた。 心的外傷には、土足で踏み込むことへの治療者側の躊躇も、自己の心的外傷の否認もあって、しばしば外傷関与の可能性を治療者の視野外に置く。しかし患者側の問題は大…

楽しき昼時また午后の時

昨日、わが麗しき恋人が家に来た。昼を回って半刻ほどした頃に。 つい2時間前に、遊びに来ることになったのだ。 お昼時なので御飯をつくらせてもらった。 鶏肉と長葱を目一杯つかったお蕎麦。それからかつ丼。 蕎麦の薬味は生姜と山葵。飲み物には一保堂の麦…

聖母の祈り ーーテンプル騎士団の「Salve Regina」

前回に続き、今回は「Salve Regina」を訳してみた。 「Salve Regina」は聖母への祈りの歌であり、よく知られた二種類のグレゴリオ聖歌があるが、それとは別の「異本」ならぬ「異曲」をマルセル・ペレス / アンサンブル・オルガヌム Marcel Pérès / Ensemble…

修道女たちのうた ――「Kyrie: Orbis factor」

仏教音楽の記事は前に書いたが(↓)、キリスト教音楽を記事にするのは初めてかも知れない。 pas-toute.hatenablog.com Graduel d'Aliénor de Bretagne / Gradual of Eleanor of Brittany - Kyrie tropé "orbis factor" わが愛聴の聖歌「Kyrie:Orbis factor…

米と茶

米研いで茶を淹れた(一息で)

「ところでなぜ安藤忠雄は人気があるんですか」

茨木春日丘教会「光の教会」 そうそう。『批評空間』「「日本精神分析」再論」(第3期第3号 2002,4月1日)の対論のなかで安藤忠雄のことをみんなでしゃっべてるのが面白くてさ、バイト中に読んでたんだけど思わず笑っちゃった。 きっかけは柄谷の次の言葉――…

前回の補遺

pas-toute.hatenablog.com 前回の記事はボクにとってかなり力作だった。ただし、それは「力を要した記事だった」と言う意味である。内容自体は大したことない(歴史の確認と柄谷行人の読解だから)のだが、文学や歌舞伎の歴史を全く知らない身分だし、その分…

近代の歌舞伎と文学 ーー柄谷行人の「内面の発見」

先日Twitterにトレンド入りした『女殺油地獄』は近松の作品である。NHKでこれが放映されたために、あの日ネットが沸いたのだが、わたしもこれを観ていた。 本作が高い評価を受け、しかもようやく歌舞伎化されたのは、意外にも明治時代にもなってからである。…

夜半の雨

音がするので外に出たら雨が滴っている。 昨夜のうちに塵捨てを済ませたが、此処から百メートルも離れたところの回収場所まで歩くうち、風があたたかかったのが気になったものだ。だから、雨の予感はすでにあった。春の予兆ではない。 しかし十年住まい続け…

過激な変奏

考え事をしていたら、もう日を大きく跨いでいた。 記事をひとつ書く。 前の通り。だがそれは重要ではない。時間は存在しない。けっして存在しなかった。裸形のエクリチュール。なんにせよ、なんであったにせよ、それ以前。おそらくは熱烈な視線。もう取り返…

吉田博とリャド

吉田博『山中湖』. 現在、上野の東京都美術館で吉田博展が開催されている。 吉田博は新版画の代表的な作家のひとりであり、川瀬巴水を右翼とすれば、吉田博は左翼。この2人を近代版画の両翼とみるむきに、異論はないだろう。 わたしが初めて新版画の存在を…