■ph■nisis

すべて真実

2021-01-01から1年間の記事一覧

藤枝静男『田紳有楽』と説話『信濃国聖事』あるいは『信貴山縁起』

私の身体は主人の垢だらけの大きい手に掴みあげられた。私の全身を戦慄が走った。私は石に叩きつけられて四散するのか。だが主人はそのまま私を胸にあててもう一度山村を拝すると 「滓見白と申す貧僧の姓名をこの丼鉢に与え、これより後は貧僧になり替って…

信仰の契機 ーー説話文学にみえる発心 弐

近年、龍樹の著作群の見直しが量られている。『大智度論』『十二門論』など、龍樹が書いたとされる著作の数は少なくない。しかしながら、最新の研究では龍樹の新作は『中論』のみという学説が支持を集めており、さまざまな本やシンポジウムで紹介されている…

信仰の契機 ーー説話文学にみえる発心 壱

パスカルは『パンセ』において信仰は訪れるものであると語っている。信じているかのように振る舞い続けるーー典礼を続けるーーうちに、信仰はむこうからやってくるのだという。 仏典で語られる発心の契機は様ざまだが、もうすこし俗っぽいもの、たとえば説話…

メモ : 仏教の男性中心主義と陰核 ーー仏典のなかの女性の正覚

最近、カトリーヌ・マラブーの『抹消された快楽』の訳書が上梓されたことで、フランス思想研究の界隈がにぎわった。 www.h-up.com 筆者も刊行記念のオンライン講演会に参加し、マラブー氏本人の講演や本邦の研究者たちによる意見交換会に接した。 哲学史上…

神神の罠

pas-toute.hatenablog.com 上の記事に掲載した拙作に対し、後半において神(性)が頻出してることを指摘する声が知人からあがった。このことについて少し。 いま筆者の経机のひきだしには、じつに愛らしい花花のイラストレーションが散りばめられた装幀に包…

補遺: 数学者の両吟と詩人の両吟、小説家の両吟

前回両吟を記事にしたことに契機づけられて岡潔の歌をいまいちど確認しようと思ったのだが、『春宵十話』が見当たらなかった。察するに、近年再評価がなされるこの数学者の随筆を、わたしはある時期から「なにか途方もなく間違っている」気がしてならなくな…

白紙のうえの片吟

黴雨(つゆ)の梅啼く鶯はなかりけり響きは高し蜩の声 海原のごと畴(うね)りさわぐをみなへし風にちぎれむ潮の黄金 宿酔の水の渇きや畳の上(え)庭苔花は雨に光らむ 夏なれば磯の薫りそ便りなる風に忍べる海の言の葉 あるいは 夏なれば磯の薫りそ便りなる…

桃乃譚

酔いの土手 くるも俄の 宵雨に 遠のく船と 桃香の匂える 今年初めての桃を食した。そこで思い出したことがあったのだけれど、この話、恋人には聞かせることのできぬ類のモノなので、あのひとに知られることがないよう、ここに書くこととする。 高校3年生の夏…

夜の瞑想としての音楽

日毎にとは言わず、折りふしの夜にくだりかかる瞑想的な気分にそくした音楽を、お前は知っているだろうか。 深夜の一人部屋の片隅に立ち尽くす闇を音楽として用意して抱いた経験。それは誰しもあったはずである。わたし自身、思い出すことはできないのだが、…

グレゴリオ聖歌のミサ曲 第4番「Cunctipotens Genitor Deus 全能の父なる神」の「Kyrie」いろいろ

pas-toute.hatenablog.com 前回ファエンツァ写本を記事にした際、「Cunctipotens Genitor Deus」のKyrieに触れた。今回の記事では様ざまな典礼の音楽にあらわれる「Cunctipotens Genitor Deus」に言及する。 そもそも「Cunctipotens Genitor Deus(全能の父…

ファエンツァ写本

Codex Faenza (I-FZc MS 117)の写本がimslpにアップロードされていた。 https://ks4.imslp.info/files/imglnks/usimg/8/82/IMSLP352519-PMLP569345-codex_faenza.pdf DIAMM(the Digital Image Archive of Medieval Music.オックスフォード大学が運営する中…

仕合わせな時間

3月14日。 2年ほど暮らした仮家を引き払うために荷物を纏める恋人の手伝いに行く。想像のとおり仕事は手付かずなところが少なくなく、翌日に控えた搬出に向けて働くことに。山崎の梅酒を抱えてきたので一二杯ほど吞んでから作業開始。 夜は前祝いを兼ねて吞…

安吾の姦淫

きのうから安吾全集のサンプルをKindleに落としてツマミヨミしてるのだが、「姦淫に寄す」と題された短編をさっき読んだ。 安吾の恋愛小説ーーというより安吾の恋愛観)は、肉体からの遊離が常に決定的である。このあたりについては、たしか『戯作者文学論 …

いやあ

ここんところ閲覧者数が日によってまちまちだったーー10ぐらいのこともあれば50ぐらいのこともあったーーんだけど、きのう今日は立て続けに100を超えたな。12週間ぶりのことだ。 自選記事は下記だな。新しいもの(2週間ほど前)から古いものへと。 pas-toute…

老を向ふるもの

若いうちに死にたいとは思わないが、老いることへの怖気に、二十を迎える直前から震えはじめた、ということはある。 つい先日に一周忌を迎えた古井由吉の、「急坂にさしかかったころ」ーーと本人が言っていたーーに書かれた一作、「辻」ーー短編集『辻』所…

未熟について

私が教員をやめるときは、ずいぶん迷った。なぜ、やめなければならないのか。私は仏教を勉強して、坊主になろうと思ったのだが、それは「さとり」というものへのあこがれ、その求道のための厳しさに対する郷愁めくものへのあこがれであった。教員という生活…

死にたいのなら死ねばよい

ラカン派の精神分析では、しばしば「死すべき運命」なるものが言及される。主体が自らの欲望のうちに死ぬということ、精神分析の倫理にかかわる、「自らの欲望のうえで譲らない」という論理。 実際、ラカンに関して言えば自殺肯定派だからな。治る見込みもな…

正覚考

きのうの夜、zoom呑みの最後は鈴木との一騎打ちで、わたしは正覚講の政治について饒舌に語った。 正覚講とはわたしが参加している勉強会のことだが、鈴木が「ポリティカルな話」をふっかけてきたことを契機に、正覚講こそ政治である、ということを話した。そ…

恥と誇り ――トラウマの神話化、ホモソーシャル

兼ねてよりわたしはこのブログにおいて、次の中井久夫の短い文章をたびたび引用してきた。 心的外傷には、土足で踏み込むことへの治療者側の躊躇も、自己の心的外傷の否認もあって、しばしば外傷関与の可能性を治療者の視野外に置く。しかし患者側の問題は大…

楽しき昼時また午后の時

昨日、わが麗しき恋人が家に来た。昼を回って半刻ほどした頃に。 つい2時間前に、遊びに来ることになったのだ。 お昼時なので御飯をつくらせてもらった。 鶏肉と長葱を目一杯つかったお蕎麦。それからかつ丼。 蕎麦の薬味は生姜と山葵。飲み物には一保堂の麦…

聖母の祈り ーーテンプル騎士団の「Salve Regina」

前回に続き、今回は「Salve Regina」を訳してみた。 「Salve Regina」は聖母への祈りの歌であり、よく知られた二種類のグレゴリオ聖歌があるが、それとは別の「異本」ならぬ「異曲」をマルセル・ペレス / アンサンブル・オルガヌム Marcel Pérès / Ensemble…

修道女たちのうた ――「Kyrie: Orbis factor」

仏教音楽の記事は前に書いたが(↓)、キリスト教音楽を記事にするのは初めてかも知れない。 pas-toute.hatenablog.com Graduel d'Aliénor de Bretagne / Gradual of Eleanor of Brittany - Kyrie tropé "orbis factor" わが愛聴の聖歌「Kyrie:Orbis factor…

米と茶

米研いで茶を淹れた(一息で)

「ところでなぜ安藤忠雄は人気があるんですか」

茨木春日丘教会「光の教会」 そうそう。『批評空間』「「日本精神分析」再論」(第3期第3号 2002,4月1日)の対論のなかで安藤忠雄のことをみんなでしゃっべてるのが面白くてさ、バイト中に読んでたんだけど思わず笑っちゃった。 きっかけは柄谷の次の言葉――…

前回の補遺

pas-toute.hatenablog.com 前回の記事はボクにとってかなり力作だった。ただし、それは「力を要した記事だった」と言う意味である。内容自体は大したことない(歴史の確認と柄谷行人の読解だから)のだが、文学や歌舞伎の歴史を全く知らない身分だし、その分…

近代の歌舞伎と文学 ーー柄谷行人の「内面の発見」

先日Twitterにトレンド入りした『女殺油地獄』は近松の作品である。NHKでこれが放映されたために、あの日ネットが沸いたのだが、わたしもこれを観ていた。 本作が高い評価を受け、しかもようやく歌舞伎化されたのは、意外にも明治時代にもなってからである。…

夜半の雨

音がするので外に出たら雨が滴っている。 昨夜のうちに塵捨てを済ませたが、此処から百メートルも離れたところの回収場所まで歩くうち、風があたたかかったのが気になったものだ。だから、雨の予感はすでにあった。春の予兆ではない。 しかし十年住まい続け…

過激な変奏

考え事をしていたら、もう日を大きく跨いでいた。 記事をひとつ書く。 前の通り。だがそれは重要ではない。時間は存在しない。けっして存在しなかった。裸形のエクリチュール。なんにせよ、なんであったにせよ、それ以前。おそらくは熱烈な視線。もう取り返…

吉田博とリャド

吉田博『山中湖』. 現在、上野の東京都美術館で吉田博展が開催されている。 吉田博は新版画の代表的な作家のひとりであり、川瀬巴水を右翼とすれば、吉田博は左翼。この2人を近代版画の両翼とみるむきに、異論はないだろう。 わたしが初めて新版画の存在を…

pas-toute.hateblo.jp