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すべて真実

2020-01-01から1年間の記事一覧

対位法との出会い

子供のとき(十二歳か十三歳だった)彼ははじめて対位法と出会った。バッハではなく、モーツァルトのハ長調の〈フーガ〉K三九四である。 ミシェル・シュネーデル『グレン・グールド 孤独のアリア』 ボクが最初に対位法に出会ったのは何時だろうな。まあグー…

美について

ラカンはセミネール第13講で「美は欲望を宙づりにする」と言ったらしいが、これほど美の特性を率直に言い得た者はほかにいないのではないか。換言すれば、彼は十分に詩人ではないのということなのだが。 タブローに関してラカンは「眼に対する眼差しの勝利と…

わたしを苦しめる唯一のことは、わたしの愛をあなたに証明するのがどうしても不可能だということです

フロイトの言葉だ。 しかし、われわれ(みな)の言葉でもある。 恋人に本を贈った。バルトの『恋愛のディスクール』である。 夜に訪れる瞑想的な時間のなかで、彼女はこれを読んでいた。ぼくは、シュネーデルによるグールドを捲っていた。彼女は『ディスクー…

美について

美とは、快と無縁な何かである。眼福とか美味とか、そういう経験とは一切関わり合いをもたない。むしろ、美は恐怖と連関している。なぜなら、美の享受をする我が身の周りには、つねに際限もなければ底も知れれぬ闇が広がっているからだ。むしろ、美は経験と…

過去のはなし

杉山さんは過去の話をすることが嫌いですか。 鈴木に、そう問われたことがあるのを思い出した。もう、何ヶ月も前の話である。 自分がどんなことを言ったか殆ど憶えていないのだけれど、あまり明るい話はしなかったような印象がぼんやりと胸の内にとぼってい…

深夜の通報

「ええ、あの、かようなことで相談するのもどうかと思われたのですが、騒音でして…」 頃は丑三つ時、ひとりの男、寒き廚に立ちて零すように言葉を垂れる。隣の住人が友人らしき人々と夜の酒に喧しく、耐えかねて岡引に相談の電話をしたのだ。 こういうとき、…

廚の声かしまし

飯のことでも書いたら、と夕飯を拵えてる最中、唐突に恋人に言われた。 「書くって、なにをだよ」 「ご飯のことですよ。きみはご飯をつくるのが、好きじゃない。だから、ブログの記事に、どうなの」 「ええ好きですとも、ほとんど毎晩、きみのところにいる間…

弥生美術館と森アーツ

竹久夢二美術館(弥生美術館)と、森アーツに行ってきた。同じコースの同輩ふたりとともに。 竹久夢二の画を生で観たのはいつぶりだろう。よく憶えていないけれど、ぼくは元来、童画のほうが好き。夢二の描く女性がは色っぽいけれど、たまにものすごく悪そう…

無題七歌

冬はゆる女の肌の翳ぞ朝窓霜に溶く奥に木瓜咲く 波打てる浜に睡らむ岩石の星霜を夢む漣痕に指なぞる吾児(あこ) 畑道(はたみち)の先に構えし氏の宮 傍(はた)に庚申三峰の石 花を背にまた山背負い立つ老人の顔にかかる黄葉の彩 風きれる秋 畳の蚊微睡む…

Aphanisis

わたしたちは、この表象代理を、わたしたちの疎外の原機序の図式のなかに位置づけることができます。わたしたちは、まずシニフィアンの最初の結合によって、主体はまず、第一番目のシニフ ィアンつまり一元的シニフィアンとして大文字の他者のなかに現われる…

メモ : 阿難について

柄谷行人の『探求Ⅰ』を読みなおしていて、デリダ的に「語る主体」とは同時に「聴く主体」である、という一文に出遭った(このテーゼは本書の冒頭から終わりに至るまで何度か登場する)。 そこで咄嗟に思ったのだが、阿難、というか経典の語り手って、「語」…

金曜11:30より

先の金曜日。1限のインド思想研究を終えたぼくは、同輩の黄檗と、それから実家が曹洞禅の鈴木ら5人とともに、森内先生へゼミのご相談を賜るためにZoomに集まった。 いつもの勉強会のメンツとほとんど変わらない。いつもどおりのZoomの集い。結集である。Zoom…

午后の宝物館

今年の1月のことである。ぼくは佐島先生の授業の課題で、法隆寺宝物館にいた。法隆寺宝物館は、その名が暗示するように、法隆寺から献納された数々の仏像や仏具等の文化財を所蔵している施設で、東京国立博物館の門を抜け、そのまま左方向へと真直ぐに進んだ…