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すべて真実

弥生美術館と森アーツ

 竹久夢二美術館(弥生美術館)と、森アーツに行ってきた。同じコースの同輩ふたりとともに。

 竹久夢二の画を生で観たのはいつぶりだろう。よく憶えていないけれど、ぼくは元来、童画のほうが好き。夢二の描く女性がは色っぽいけれど、たまにものすごく悪そうだったり、間抜けそうだったり、意地悪そうだったりするのがあるから、ぞくっとしてしまう。あの口許よ。

 それだけに、夢二自身、女性を描くより子どもを描く方が好きだったらしいことにはちょっとびっくりした。

 

 それから、弥生美術館(竹久夢二美術館に併設)の2階に展示されていた橘小夢の恵心僧都画には、源信のあまりの美男子ぶりに愕然とした。飛天は乳も露わ。とても地獄の書『往生要集』の作者の画像とは思えず、にんまりしてしまった。

 妹にハンカチを買うて後にする。

 

 

 

 さてその足で森アーツで開催中の「STARS展:現代美術のスターたち―日本から世界へ」に行く。

 印象的だったのは李禹煥。というか、李禹煥を鑑賞する自分の態度に驚いた。なんといっていいのか、自分が観察していた対象が、空間や「もの」ではなく、ドローイング(の筆致)だったことに気がつき、そのうえでそれに感心したことに驚いたのである。それは、李禹煥の2枚のドローイングを間近に撮影した記録からも明らかである。なぜなら、ここで自分は明らかに両者のドローイングにおけるストロークの差異を記録しようと努めているから。つまり、ぼくはこの作家を「画家」として観ていたということ。(下の写真は『対話』(2020)より)。

 

 

 

 草間彌生については別記事で書くとして、宮島達男のビデオメッセージや奈良美智に関しては、3.11のカタストロフに引かれていることがやはり印象的だった。

 杉本博史にかんしていえば、風狂の極みというか、作家自身の言葉を借りれば大数奇者というか、本当にもううんざりさせられるほど作り込まれた江ノ浦測候所を舞台とした映像作品で、『百人一首』(天の香久山)や『梁塵秘抄』(遊びをせんとや生まれけむ)をパロッた語りも厭らしく、目が離せなかった。田中泯のダンスや作家本人が歌う『アメイジンググレイス』の部分は予想外で苦笑してしまった。

 村上隆の作品がほかの作家の作品より自分の眼では見劣りしたのが興味深かった。『五百羅漢図』以来の失速ぶりやYouTuberとのわけのわからない活動を、自分が白い目を見ていたためだろうか。それともフロアの順番が誘発した魔力のせいか。

 

 作家の資料部屋がなかなか面白かったものである。貴重な資料が多いのだ。ただ、壁一面にびっしり書かれた作家に捧げられた讃美の言葉群を、仮に作家を少しでも知っているひとが見たなら思わず閉口してしまうこともあるだろう。しかしまあ、この過剰な演出が展覧会の主旨である、「スター」に結びつくものとみれば合点もいく。資料については、たとえば、中原祐介の自筆草稿。こんなもの、ぼくはたぶん今後もう見ることもないでしょう。

 

 

付記

 浅田彰による極めて「愉快な」村上隆評。かなり有名なものなのだが付す。

 

 村上隆の活動の基礎にあるのは、おおよそ次のような認識と戦略だ(彼の発言は時により場所によって変化するので、大ざっぱな要約でしかないことを断っておく)。

 

[1]世界に通用するアートは一つだけ、それは、欧米のアート・ワールド(欧米のアート・マーケットに支えられたもので、現在はそのグローバル化にともなってそれ自体グローバル化した)で評価される ものである。非欧米のアートはそこに組み込まれてはじめて世界に通用するものとなる。その現実に背を向けて、あるいはローカルな伝統芸術を継承し、あるいはローカルな場で欧米のアートを批判してみても、プロヴィンシャルな自己満足の域を超えられない。

[2]非欧米、たとえば日本は、グローバル化した欧米のアート・ワールドの中で周縁的な存在に過ぎず、周縁のアーティストが中心のアーティストと同じことをしても評価されない。周縁のアーティストは、グローバル・マーケットで商品価値を持つようなローカル・カラー(たとえば「日本色」)を売り物にするほかない。

 

 私はこの認識は根本的に誤っていると思う。グローバル化した欧米のアート・ワールドといっても一枚岩ではないし、その外側にも多種多様なアート・ワールズがある。グローバル化したアート・マーケットで売れるようになってグローバル化したアート・ワールドに登録されることだけが成功の尺度ではないし、周縁のアーティストがそのためにローカル・カラーを売り物にしなければならないとは限らない(たとえば河原温杉本博司は「日本色」を押し出すことなく世界的アーティストになった――後者が「日本的」なものへの関心を表に出したのはその後になってからだ)。

 

 とはいえ、多種多様な文化/アート・ワールズが水平的に共存していると見る多文化主義(そんな単純なものがあったとして)はナイーヴに過ぎるので、それら多種多様な文化/アート・ワールズはグローバル資本主義グローバル化したアート・マーケットのバザールに並んでいるに過ぎないというのは厳然たる事実である。日本のアーティスト村上隆がその中で苦闘を続け、見事に成功を収めてきたことは、誰も否定できないだろう。

 

 とくに、初期の村上隆がいわゆるオタク文化の中で育まれたマンガやアニメやゲームのイメージをアート化することで世界に打って出た、これはきわめて巧妙な戦略だったし、現に大きな成功を収めた。彼が2005年にニューヨークで開いたオタク・アート展の「リトルボーイ」というタイトルには、この戦略の核心が表れている。言うまでもなく「リトルボーイ」とは広島に投下された原子爆弾村上隆の「シーブリーズ」はすでにこのテーマを扱っていた)のニックネームである。それによって日本は去勢され、占領軍司令官マッカーサーの言葉によれば「12歳の子ども」——リトル・ボーイズ&ガールズになってしまったのだ。しかし、その後の日本はマンガやアニメやゲームのような子どもの文化を徹底的に洗練してきた。そして気が付いてみれば、世界的に幼児化が進むポストモダン時代にあって、アメリカをはじめ世界中の人々が日本の幼児的文化に夢中になっているではないか。そうであってみれば、そのような幼児的文化の前衛とも言えるオタク文化をアート化することによってグローバル化したアート・ワールドを席捲することも夢ではないはずだ…。この自虐的とも言える捨て身の戦略を成功させることによって、村上隆は実際に「世界に通用するアーティスト」となったのである。

 

 そこで注目しておくべきは、村上隆が「スーパーフラット」と呼ぶ手法が対象とうまく合っていたということだ。「スーパーフラット」というのはたんに「極端な平面性」だけではなく「平面性を超えるような平面性」を意味する。村上隆によれば、辻惟雄が『奇想の系譜』で取り上げた日本の絵師たちの画面は、平面の中にあまりに過剰な要素が盛り込まれているため、視線があちこちに引っ張られ、あるいは盛り上がって見えたり、あるいは窪んで見えたり、挙句の果てには動き出してさえ見える。絵巻物がアニメにつながるという常識的な歴史観を退け、そういうスーパーフラット(超平面的)な平面に含まれていた潜在的な運動性を顕在化したところにこそアニメの可能性の中心があると考える村上隆の説は、文化史的に見て正しいかどうかはともかく、きわめて刺激的なものと言えるだろう。また実際、村上隆の画面は、きわめてフラットに仕上げられながら、たとえば(東浩紀の注目したように)マンガやアニメに不可欠な目のアイコンを異様に増殖させることによって、マンガやアニメで視線が二つの目をとらえたとたん顔のゲシュタルトを認知して安定してしまうのに対し、そのような安定を妨げ、画面のあちこちに視線をさまよわせて、それをスーパーフラット(超平面的)なものとして認知させるのに成功していた。そう、それはマンガやアニメやゲームを素材としながらも、特異な方法論によってそれらを別次元にもたらす試みだったのである。こうした村上隆の試みは、オタク文化の当事者たちからはオタク文化を利用=搾取するものとして嫌われることが多かったが、そのこと自体、村上隆の作品がアートとしてもつ特異性を裏側から証明するものだったと言ってもよい。付け加えて言えば、この時期に制作された一連のオブジェ——巨乳から白いミルクを迸らせる少女や、男根から白い精液を迸らせる少年、そして変形すると性器を先端に突き出した戦闘機となる美少女なども、そのスケールと徹底性においてオタク文化の閉じた共同体を突き破るものであり、一時代の象徴となりうるものだったと思う。(たしか小山登美夫のギャラリーで精液を迸らせる「My Lonesome Cowboy」を初めて見たとき、熱心なギャラリストは「見てください、これ、すごいんです、肛門までちゃんとついてるんですよ」と私にそれを見せようとした。悪趣味なゲームにそこまで付き合う気はなかったので、2008年に16億円近く[手数料込み]で落札されることになる「My Lonesome Cowboy」の肛門をチェックする貴重な機会を逃したことになるが、倒錯趣味の大コレクターたちに向けた対策も万全であることを確認して、その徹底性には感心したのを覚えている。)

 

 

 それから14年以上たって、村上隆はどう変わったのか。基本的な認識と戦略は変わっていない。変わったとしたら、「日本的」なものとして取り上げる対象が、現代のオタク文化から古い美術、たとえば仏画に変わったということだろう——今回の「五百羅漢図展」に見られるように。マンガやアニメやゲームばかりを取り上げていてはアーティストとして成熟できないし、成熟したコレクターの需要にも応えられない、定評ある日本の古美術をスーパーフラット化することで、多種多様な作品を生み出し、幅広いコレクターの需要に応えよう、ということなのだろうか。この戦略は理論的には理解できなくもない。だが、そこにはいくつかの問題がある。まず、欧米において日本の古美術はつねに高く評価されてきたので、欧米が幼稚なものとして軽蔑する日本のオタク文化を逆手にとって逆襲に出たときのバネはもはや働かない。それでは、村上隆の方法が日本の古美術をうまくスーパーフラット化できているかというと、これまたとてもそうは言えない。マンガやアニメのイメージャリーはフラットな表現に合っていたし、村上隆はそれをスーパーフラット(超平面)化することによって元のマンガやアニメになかった表現を切り開き得ていたのだが、筆のストロークを重要な要素とする日本の古美術は記号化されたフラットな表現に合っておらず(合わないなら合わないなりに、抽象表現主義のダイナミックなブラッシュストロークをプラスティックのオブジェに固定化してみせたリキテンシュタインのような逆転の発想も可能だと思うのだが、ここにはそれもない)、肝心の「五百羅漢図」からして下手にマンガ化された出来損ないのキャラクターが並列されるだけのたんにフラットな画面に終わってしまった(それを「スーパーフラット」と言うなら、それはもはや「超平面的」という意味ではなく、「きわめて平面的」という意味でしかない)。「村上隆の五百羅漢図展」には引用源のひとつである狩野一信の「五百羅漢図」から二幅が出展されているが、どちらがスーパーフラットかといえば狩野一信の方であり、村上隆の方はたんにフラットと言わざるを得ないだろう。狩野一信の「五百羅漢図」が一挙に公開されたとき(私が見たのは2011年の東京の展覧会ではなく2013年の山口での展覧会だ;なお、所蔵先の増上寺宝物展示室では3月13日まで「狩野一信の五百羅漢図展」(後期)で20幅が展示中である)、私はそれを基本的に下手物と判断しながら半日かけても見飽きることがなかったのに対し、森美術館で披露された村上隆の全長100mに及ぶという「五百羅漢図」は5分で通り過ぎてしまった(ついでに行った Kaikai Kiki Gallery での個展[2015年11月21日に終了]は1分で見られた——この効率性こそグローバル化したアート・マーケットにふさわしいと言えばハンス=ウルリヒ・オブリストばりのシニシズムということになるだろうか)。それがコンセプトの平板な図解でしかないことが一目瞭然だからだ。強いて言えば、小さな白い髑髏を一面に敷き詰めた上に大きく〇を描いた円相図(たとえば2015年の「南無八幡大菩薩」「真っ白シロスケ」「君は空洞、僕も空洞」の三幅対)ならデザイン的にはきれいに仕上がっており日本の古美術のポストモダン・ヴァージョンといって通用するかもしれないが、後はいちいち見る価値もないというのが私の判断である。しかも、観客をさらにうんざりさせるのは、村上隆がいかに辻惟雄の課題に応えながら日本美術史と真剣に取り組んだか、その成果を作品化するにあたってスタジオのメンバー全員がいかに一丸となって頑張ったかが、わざわざヴィデオまで使って展示されていることだ。それを見せつけられれば見せつけられるほど、観客は「そこまで頑張ってこんなつまらないものしかできないのか」と思うだけだろう。そもそもスーパーフラット・アートがポップ・アートの流れを汲むものだとしたら、勉強や苦労など一切していないかのようにクールに振る舞うというアティテュードが不可欠ではなかったのか。

 

浅田彰村上隆なら森美術館より横浜美術館で」http://realkyoto.jp/blog/asada-akira_160129/

 

 さらに付記

 ある方から浅田の引用が全体のほとんどを占めているとの指摘を[否定的な含みで]言われたので、後日、また別記事をつくる。