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すべて真実

聖母の祈り ーーテンプル騎士団の「Salve Regina」

 前回に続き、今回は「Salve Regina」を訳してみた。

「Salve Regina」は聖母への祈りの歌であり、よく知られた二種類のグレゴリオ聖歌があるが、それとは別の「異本」ならぬ「異曲」をマルセル・ペレス / アンサンブル・オルガヌム Marcel Pérès / Ensemble Organum が今から30〜40年ほど前に発見・録音している。

これがまたかなり「曰く付き」の曲で面白く、ひょっとしたらアンサンブル・オルガヌムの録音のなかで1番よく知られたものかも知れない。まあ解説めいたものは記事の最後の方に載せるとして、とりあえず曲と歌詞を付す。訳はラテン語原文と英訳を頼りにした。前回(前記事)以上に、今回は読み易さと意訳の色を濃くさせているので、原文と訳文との間で、文の位置関係など色々差異がある。また、三連目からは韻文なのだが、到底自分の手に負えるはずもないので考慮していない。 

 

前記事の「Kyrie : Orbis factor」同様、この曲も極めて切実な雰囲気に満ちている。音楽面もさることながら、詩の痛切さも印象的である。とくに前半「Ad te clamamus exules filii Eve. Ad te suspiramus gementes et flentes in hac lacrimarum valle.」など凄まじい感じさえする――実はぼくもちゃんと歌詞を調べたり読んだりしたのが今回が初めてのことで、なかなか驚いたものである――。

 

 


Le Chant des Templiers: VIII. Antiphona "Salve Regina"

 

 

Salve regina misericordiae

Vita dulcedo et spes nostra salve.

Ad te clamamus exules filii Eve.

Ad te suspiramus gementes et flentes in

hac lacrimarum valle.

 

お聴きください,女王よ,憐みください.

私たちの命であり,恩寵であり,また希望であらせられる御方よ,お聴きください.

私たち追放されたエヴァの子たちは,

この噎びを御身の許へと響かせましょう.

嘆き,また悲哀に泣いている私たちは,ここ盡きることのない涙の谷にて,御身に向けて吐息をついているのです.

 

 

Eia ergo advocata nostra, illos tuos

misericordes oculos ad nos convente

Et ihesum benedictum fructus ventris tui

nobis post hoc exilium ostende.

O clemens, o pia, o dulcis Maria.

 

ああ,どうぞそれ故に,

私たちをお守りくださる方,

御身のその憐みに溢れる眼差しを,

いままた私たちに注いでください.

そうして,私たちに与えられた追放の罪が贖われるころ,

御身の愛でたき肚の実である救世主の姿をお示しください.

ああ,心優しく虔しみ深き,甘美なる乙女,マリアよ.

 

 

Alpha et omega misit de

superis gloriosum solamen miseris,

cum Gabriel a summa gerarchia

paranimphus dicit in armonia :

Ave Vingo Maria

O clemens, o pia ,o dulcis Maria.

 

主は天より遣わされました,

苦しみのうちに栄光の慰めをもたらすために,

ラニンフとして訪れた誉れ高き天使ガブリエルは,

和やかに宣言をいたしました.

めでたし乙女マリア,

ああ,心優しく虔しみ深き,甘美なる乙女,マリアよ.

 

 

O pastores pro Deo surgite,

quid vidistis de Christo dicite.

Reges Tharsis de stella

visione sint testes in apparitione :

Ave Virgo Maria.

O clemens, o pia ,o dulcis Maria

 

羊飼いたちよ,神の御前に立ち上がりなさい,

あなたが救世主を目にしたことを語らいなさい,

タルシシュの王たちに証言をさせるのです,

彼らが星の出現を目にしたことを.

めでたし乙女マリア,

ああ,心優しく虔しみ深き,甘美なる乙女,マリアよ.

 

 

Fons humilis aquarum puteus,

rosa mundi, splendor sydereus,

amigdalus Aaron fructuosa,

precantibus esto lux gloriosa :

Ave Virgo Maria.

 

つつましく,また豊潤なる泉,

水にして,また世界の薔薇,

アーロンの芽吹く杖,

御身に祷る者にとっての栄光なる光となりますように.

めでたし乙女マリア,

 

 

Salve regina misericordiae

Vita dulcedo et spes nostra salve.

Ad te clamamus exules filii Eve.

Ad te suspiramus gementes et flentes in

hac lacrimarum valle.

 

お聴きください,女王よ,憐みください.

私たちの命であり,恩寵であり,また希望であらせられる御方よ,お聴きください.

私たち追放されたエヴァの子たちは,この噎びを御身の許へと響かせましょう.

嘆き,また悲哀に泣いている私たちは,ここ盡きることのない涙の谷にて,御身に向けて吐息をついているのです.

 

 

Eia ergo advocata nostra, illos tuos

misericordes oculos ad nos convente

Et ihesum benedictum fructus ventris tui

nobis post hoc exilium ostende.

O clemens, o pia, o dulcis Maria.

 

ああ,どうぞそれ故に,

私たちをお守りくださる方,

御身のその憐みに溢れる眼差しを,

いままた私たちに注いでください.

そうして,私たちに与えられた追放の罪が咎められるころ,

御身の愛でたき肚の実である救世主の姿をお示しください.

ああ,心優しく虔しみ深き,甘美なる乙女,マリアよ.

 

Salve Regina

Chantilly, Musee conde ms. XVIII b.12』「Manuscrit du Saint-Sépulcre de Jérusalem」.

 

 

 

―――――――――――――――

以下、解説。

この「Salve Regina」は、シャンティイのコンデ美術館が所蔵している写本――『Chantilly, Musee conde ms. XVIII b.12』「Manuscrit du Saint-Sépulcre de Jérusalem」に所収されている曲だという。マルセル・ペレスの解説によれば、19世紀中葉にオマール侯爵が買収したらしい。

 

 

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Manuscrit du Saint-Sépulcre de Jérusalem

 

Manuscrit du Saint-Sépulcre de Jérusalem」を直訳すれば「エルサレムの聖墳墓写本」となるが、この名前が示すように、エルサレム聖墳墓教会から出土されたものらしい。典礼作法書なので、この写本は聖墳墓教会で活動していた信者たちが使用していたものと推察されるのだが、聖墳墓教会に関係のある人間といえば、テンプル騎士団が真っ先に挙がるだろう。

したがって件の「Salve Regina」はテンプル騎士団が編み出した、彼らのための曲であるということができる。あのテンプル騎士団が礼拝をおこなっていたとはなかなかイメージしがたいが、マルセル・ペレスによれば騎士たちは典礼に熱心だったらしい。もっとも、活動的だった彼らはミサに出席できないこともあったので、それを補填するために1日の間に「Pater Noster」を数回称えるなどの処置をおこなったりもしたらしい。とくに個人的に面白かったのは次の話。第5回十字軍におけるダミエッタ包囲戦(1217~1221)で寝込みを襲おうと考えたイスラム教徒は、騎士団に対して夜に襲撃をかましたが、騎士団たちは夜の典礼のために起きていたので対抗できたらしい。

 

During the siege ofDamietta in the Fifth Crusade, a night raid by the Muslims was foiled because the Templars were celebrating the Office ofMatins in the tent that served as the Order's chapel. Thus they were able immediately to repulse the attack.

 

Marcel Pérès,Charles Johnston(Trans).

Marcel Pérès / Ensemble Organum「Le Chant Des Templiers」ブックレット.

 

 

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ダミエッタ包囲戦

 

ところで、先に掲げた写本の写真からも確認できるように、楽譜の記譜法はフランコ様式に依拠しているようである。フランコ記譜法はアルス・アンティカの記譜法なので、サン・マルシャル楽派やノートルダム楽派の影響を受けたものだと考えることができるだろう。マルセル・ペレスによれば、典礼の指示はパリ教区の司祭アンセルムに委ねられていたらしい。ゆえに、パリの音楽家たちの理論が採用されているのは、典礼書自体はフランスで作られたからなのだ。

「Salve Regina」は先述したようにグレゴリオ聖歌にも存在するアンティフォナで、詩に違いがある。グレゴリオ聖歌の「Salve Regina」の場合、(テンプル騎士団の「Salve Regina」の歌詞で説明するなら)最初の二連のみが全文になる。つまり「Salve Regina ~ o dulcis Maria」のみで、「Alpha et Omega」以降は、完全にテンプル騎士団独自の「Salve Regina」となる。

下にグレゴリオ聖歌版「Salve Regina」のうち一つを貼る。第1旋法の聖歌で、テンプル騎士団の「Salve Regina」がこれを踏襲しているのは明白である。なお、下の動画の指揮者はジョン・ラター。

 

 


Salve Regina - Gregorian chant, John Rutter, The Cambridge Singers

 

 

オリジナルの詩はヘルマヌス・コントラクトゥスの作によるものと考えられており、テンプル騎士団の「Salve Regina」の作者は不明である。ひょっとしたらアンセルムかも知れないが、いずれにしても13~14世紀のパリで活躍していた宗教者・音楽家の手によるのだろう。

マルセル・ペレスによれば、騎士たちは就寝の前に「Salve Regina」を唱えていたらしい。 「受肉の神秘を讃えた歌」と紹介されているように、聖母の讃歌という意味だけでなく、受胎の祝福や豊穣の讃嘆といった宗教的意味合いが付加されているのは面白い。

 

「Salve Regina」はジョスカンがのちに素晴らしい編曲を施しているし、バッハやペルゴレージもこの詩に曲をつけている。アルヴァ・ペルトも官能的な作品をつくっていて、いかに時代を超えて愛されているかが窺える。

 

 

曲や詩に関する面白いことはまだまだあるのだが、長くなったので別記事にする。