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すべて真実

夜半の雨

 

音がするので外に出たら雨が滴っている。

昨夜のうちに塵捨てを済ませたが、此処から百メートルも離れたところの回収場所まで歩くうち、風があたたかかったのが気になったものだ。だから、雨の予感はすでにあった。春の予兆ではない。

 

 しかし十年住まい続けて、今では寝床の中からお天気を間違えることはなくなった。最初は表通りの車の音で晴雨を聞き分けた。雨の日はタイヤの音が違う。そのうちに、それさえ頼らなくなった。嗅覚か、皮膚感覚か、第六感か、それともマンション感覚と呼ぶべきか、晴の気分で目を覚ませば外は晴、雨の気分で目を覚ませば外は雨、めったにはずれない。深夜に友人と電話をしている。ああ、雨だな、とこちらは屋根を叩く音も庇を叩く音も聞えないのに、そう言う。雨なものか、月が出ていたぞ、と木造住ましの友人は答える。しかししばらくして、ああ、やっばり雨だな、どうしてわかった、と感心する。 マンションの窓は雨音ひとつ伝えないのに、受話器の中から土砂降りのざわめきがさあっと溢れ出てくる。そんなこともあった。 

 

古井由吉「十年ひと暮し」.

 

 

 

 

付記

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過激な変奏

 

考え事をしていたら、もう日を大きく跨いでいた。

記事をひとつ書く。

 

前の通り。だがそれは重要ではない。時間は存在しない。けっして存在しなかった。裸形のエクリチュール。なんにせよ、なんであったにせよ、それ以前。おそらくは熱烈な視線。もう取り返しがつかない。誰も動かないのに運動がある。

 

フェリックス・ガタリ著,宇野邦一松本潤一郎訳『リトルネロ』.

 

そうだとも、そうだとも、そうだとも。時間は存在しないよ。

 

過去を変えることは不可能であるという思い込みがある。しかし、過去が現在に持つ意味は絶えず変化する。現在に作用を及ぼしていない過去はないも同然であるとするならば、過去は現在の変化に応じて変化する。過去には暗い事件しかなかったと言っていた患者が、回復過程において楽しいといえる事件を思い出すことはその一例である。すべては、文脈(前後関係)が変化すれば変化する。 

 

中井久夫統合失調症の精神療法」『徴候・記憶・外傷』

 

過去を振り返った時に辛い経験しか想起されないのは、現在の過酷さに由来しているという事態は実際ある。過去にできた疵にかかわる人物を未だに憎んでいたり、愛していたり、あるいは懴悔を望んでいたりするのであれば、間違いなく過去は悲痛な価値を帯び続ける。私自身、辛い経験を味わっていた同時期の細やかな楽しみを、きょう発見することはできる。そしてそれが現在のわたしと不可分な関係を結んでいることもよく知っている。

もちろん、付き合い続けるという選択肢はなんら許されざるものでもない。その意義はどうあれ、しかし、そうであるなら、未来の不安もまた現在の地点から拭うことが可能であると考えてもいいだろう。現在の幸福が将来に擁かれることに関して、不都合はない。

 

 

「龍夫ちゃん、あたしもういやになった。どうしてこんな旅をしなきゃならないの? こんなことするのに何の意味があるの?」
「意味なんかありゃしないよ。ただ始めたからにはつづけなきゃならないんだ。人生と同じだ」
「もうしんどいよ。人生はやめられなくても旅は途中でやめられるよ。やめてアメリカに帰ろうよ」
「帰ったって同じだよ、しんどいことに変りはないさ。どうせ同じなら変化があるだけ旅している方がましだと思わない?」
「毎日食堂探し、ホテル探し、行き場所探しでもう疲れた。何も見たくない、飽き飽きしたよ。どこかぱっとおいしいものを食べて、帰ろうよ」
「きみは疲労から逃避したくなっているだけだ。旅っていうのは最初の四分の一から三分の一あたりがいちばんきついんだ。今はちょうどその時期なんだよ。ぼくも一人で旅行していたときは十日目ぐらいがいちばん辛かったよ。発狂しそうなほど孤独だったし、よっぽど途中でやめて日本に帰ろうかと思った。だけど払った金がもったいないしさ、ここで挫折したらこの先何もやって行けない男になるような気がしてね。 死んだ親父にすまない、頑張り通そうって決心したのがつぎの日ぐらいだ。それからは最後までつづけてやるという意地だけで動いていたよ。だからさ、弓さん、全体を見通した上でこれは駄目だ、もうあかん、ときみは思うだろうけど、十日目の気分がきみにそう思わせているにすぎないんだよ」
「そうか、明日にはべつの気分になるかもしれないってことね」
「そうだよ、かならずなるよ」
「もっと悪い気分になって、もっと悪いことが起ったらどうする? やめて帰る?」
「そう思うのが十日目の気分なんだってば」
「じゃ、明日からはよくなるって保証してくれる?」
「少なくとも今以上に悪くなりやしないよ」
子どもたちを大声で呼び戻し、南に引き返した。

 

冥王まさ子『天馬空を行く』.

 

 

 

吉田博とリャド

 

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吉田博『山中湖』.

 

 

現在、上野の東京都美術館で吉田博展が開催されている。

吉田博は新版画の代表的な作家のひとりであり、川瀬巴水を右翼とすれば、吉田博は左翼。この2人を近代版画の両翼とみるむきに、異論はないだろう。

わたしが初めて新版画の存在を知ったのは高校時代のことだったと思う。この頃はまだ、川瀬巴水も吉田博も、「知る人ぞ知る」「海外で話題の」「古美術商が好む」といった評価を受ける、けっしてメジャーの域にはない作家たちだった印象だ。しかし、ここ2年の間にみるみる近代版画を主題とした展覧会が増えている気がするのは、わたしの思い違いだろうか。昨年の神奈川での川瀬巴水展をはじめ、今回の吉田博展、今年の秋冬にそれぞれ開かれる川瀬巴水笠松紫浪の企画展。すくなくとも今から4年前と比較すれば、明らかにその名声は高まっていると言わざるをえまい。

 

わたしは吉田博の絵には些か否定的である。新版画という運動自体、そもそも評価できない点がある。なぜなら、わたしはジャポニスムを否定的に評価しているからである。ジャポニスムに支持された新版画を素直に肯定することはできない。したがってわたしは吉田博を評価するフロイトも否定する――もっとも、フロイトはしばしば自分が芸術を見る目がないとシニカルに言うのだが(たとえばアンドレ・ブルトンへの手紙のなかで)――。しかし、それはそれとして、吉田博の絵を「巧い」とも思えない。吉田博は人物の描写が極めて稚拙で、色彩の区分けがやや平易である。その点、川瀬巴水はどうだろう。おそらく川瀬巴水も人物表現が苦手だったと思う。というより、それはあの規格の版画において逃れることのできない問題なのかも知れないけれど、川瀬巴水はそれをちゃんと「誤魔化している」。陥落を避けるように、常に人物は後ろ向きだったり俯いた姿勢だったり、陰に満ちている。顔を傘や笠をもって隠している。

 

 

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吉田博『落合徳川ぼたん園』.

 

 

 

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吉田博『不忍池』.

 

 

 

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川瀬巴水『春のあたご山』.

 

 

 

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川瀬巴水『駒形河岸』.

 

 

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川瀬巴水『芝増上寺』.

 

 

吉田博の絵画において、「自摺」という語は極めて重要である。吉田博は彫師と摺師を雇用して制作していたが、自分が納得すれば「自摺」の字を作品の枠外に必ず書きこんだ。これは比較的有名な話で、また不思議な話でもある。彫と摺を他者の手に任せた作品でも「自摺」とするのだから。吉田博は19世紀も終わりに渡米するが、どうやらその先ですでに彫師と摺師を雇用していたらしい。実際、アメリカ滞在中の作品(『グランドキャニオン』『ナイアガラ滝』など)にはすでに「自摺」の文字が見える。したがって吉田博は早い段階から自摺の思想を持ち得ていたことになる。

しかし、自摺の字が見えないとなれば、その作品の出来栄えは吉田博が納得しなかったという証なのではないか、と恋人が言った。実際、古美術商の間でも「自摺」の字の有無で値段は変わるらしい。

わたしたちは「自摺」のない作品を探し、4つを見つけることができた。『山中湖』『湖畔の庭』『秋之銀杏』『姫路城 夕』である。なかには吉田博がどの点を良しとしなかったのかいまいちわかりかねるものもあったが、『山中湖』に関しては、水の表現が曖昧だったからではないのか、と我われは推察した。字さえなければ反転してもさほど区別はつかぬような気さえする――なお、記事の冒頭に掲げたのが『山中湖』だが、枠外に「自摺」の文字が見えないことがわかるだろう――。

 

ところで、吉田博の現物を目に、もうひとつ川瀬巴水との違いを確認することができた。それは「運動性」の有無である。吉田博の絵はつねに静止している。だが、不思議なことではない。吉田博は脚を使って山を登る人間だったが、登る人間を作品の主題にはしない。主題は山であって人間ではない。このような傾向は、吉田博が版画に向かう以前の油画時代からすでに窺がえていた。彼の『渓流』は流れておらず、巌の存在感だけが克明に描かれる。最初のアメリカ巡行でも、主題は圧倒的に山や岩石、あるいは建築物である。以後も同様で、人物画もなにか切り取ったような雰囲気を逃れていない。そういう眼差しは、人びとの生活という活動のなかに郷愁を見出した川瀬巴水とは真逆であるといっても良いかもしれない。

だから、吉田博の絵画は絵画でなく写真めいていて、それもかなりスローな写真という印象を受けた。それはあの有名な舟の絵を前にしてのことだったのだが、瞬間、ハイスピードカメラの写真を思わせるトレンツ・リャドの作品を不意に想起し、また両者の差異を考えた。

 

昨年、わたしはトレンツ・リャドの展覧会に行った。最後の印象派といわれるこの画家の絵を間近に見たのは初めてだったが、とにかくうんざりさせられた。リャドの作品のどこが印象派なのだろう。一見炸裂しているかのようなモティーフは、実は凍結している。ごりごりに固まっていて運動性を知らない。運動性のない印象派はいないだろう。わたしは印象派の絵も素直に肯定できないが、モネの絵画を多少とも知っていれば「最後の印象派」などという馬鹿らしい語を易々と口にはしないはずだ。いうまでもなく、モネやセザンヌといった初期印象派の画家たちの絵は、映像だからだ。ゆえに、リャドの作品は印象派的でない。写真的なのである。しかも炸裂の瞬間という凝り固まった状況が多いから、わたしはハイスピードカメラ的だと思った。

また、リャドの絵にみられる画面上の矩形。これはリャドの作品における特徴だが、<リャド・フレーム>といわれるらしい。正に、文字通り、「フレーム」なのである。‥‥‥もうひとつ余談だが、リャドの絵に記された字は極めて雑である。その事実にも困惑した。‥‥‥

しかし、本当にうんざりさせられたのはリャドの絵を「美しい」といって憚らない観客、ではなく、その観客たちにリャドの魅力を語って売るバイヤーだった。売ること自体は問題ないのだけれど、嘘くさい美術史や批評的な言説を糧にしている様子にはげんなりとした。「骨董屋の口車に乗せられてはいけない」という、なにかの評論で読んだ一文が、ぐるぐる頭のなかで巡ったものだった。