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すべて真実

前回の補遺

 

pas-toute.hatenablog.com

 

 

前回の記事はボクにとってかなり力作だった。ただし、それは「力を要した記事だった」と言う意味である。内容自体は大したことない(歴史の確認と柄谷行人の読解だから)のだが、文学や歌舞伎の歴史を全く知らない身分だし、その分、資料集めや読み込みにエネルギーと時間をつかったわけだ。

 

書かなかったことはいくつもある。それは然程必要と思われなかったから書かなかったのだが、補遺としてここに記す。

まず柄谷行人の手つきが極めて構造主義的であり、モダニズム的批評そのものであることを念のために付しておく。だからといって、もちろん柄谷の言説が無意味だとか無価値だとか言うわけではない。この頃の柄谷行人は凄いよね、とよく友人と話す。

余談だが、五来重の念仏研究もこれに通じるものだ。五来が念仏踊の発生を「五会念仏」に求めていることはよく知られる。五来重にいわせれば、五会念仏は運動性と音楽性とを伴う念仏であり、日本の念仏の起源に位置付けられる。だからこそ、後世に踊念仏念仏踊は誕生したのだと言う。

五来重の言説には、正直首肯しがたいものがある。まず五会念仏を日本の最初の念仏にするかどうかについても議論があるだろうし、歴史を追っても論難に出会うことは少なくない。解釈や理解に誤ったところも多い。もっとも、これは念仏研究に限らないはなしである。たとえば、修験道関係の論文を読んだとき、「浮屠」を「死者」と解していたが、このような誤解はいくらでも散見される。

しかし、五来重の念仏研究は、ヴェルフリンの概念をつかって絵画史を論じたクレメント・グリーンバーグと同じである。五来重は「運動性」「音楽性」を念仏における固有の媒体と捉えているのだから。

したがって五来重に対して「仏教民俗学者」「宗教民俗学者」とは別の価値を見出すこともできるわけだが、これは明らかに仏教民俗学の領野では語り得ないはなしだし、仏教学、民俗学の分野外でもある。もっとも、仏教民俗学の思想は常にアクチュアルな問題であり続けていることも踏まえれば、五来重はそれでも大きな課題ではあるのだが。

 

ところで、ぼくは今回、歌舞伎と身分に関する歴史を少し知った。知ったというより、驚いた。大笹吉雄の『日本現代演劇史 明治・大正篇』には、つぎのような記述がある。

 

天保九年(一八三八)、江戸幕府最後の革新粛清政治がはじまる。いわゆる天保の改革である。演劇ーーといえば歌舞伎のことだがーーーもきびしい弾圧を受けて、官許の劇場の江戸三座中村座市村座守田座)は、新吉原近くの猿若町に強制移転させられた。為政者のいう二大悪場所、遊里と劇場が一般社会から隔離されたわけである。以後、明治五年(一八七一)に守田座新富町に進出するまで、劇場は市中に建設されることはなかった。猿若町とは、劇場街としての整備が緒についてからの新命名で、それまでその地は浅草寺裏の広い湿地帯だった。

劇場の強制移転とともに、歌舞伎俳優もさまざまな処罰や制限を受けた。たとえば天保十三年(一八四二)には、俳優が外出するときには編笠の着用が義務づけられた。住居は劇場の近接地域内と決められ、一般人との交際もまた、極端に限られた。生活態度が分にすぎると、七代目市川団十郎は江戸十里四方追放の刑に処せられた。

これらのことは、俳優の身分を明らかにしようとの幕府の意図のあらわれだった。その極端な例としては、俳優の人数を動物並みに何匹と数えたことであろう。寛政期(一七八九〜一八〇一)の名優五代目市川団十郎が、「錦きて畳のうえの乞食かな」とその境遇を自嘲したのも無理はなかった。一言でいってどんなに富裕な暮しをしようと、歌舞伎俳優は「人間」ではなかった。

 

大笹吉雄『日本現代演劇史 明治・大正篇』.

 

 

いわゆる「江戸の文化」として今日語られる歌舞伎。それを演じる人びとの地位は極めて低かったのだ。思えば、当時の「廻舞台」の仕掛けを踏まえれば、なにか近しいものを感じないこともない。

もっとも、大笹吉雄の研究がこんにちどれだけ通用するかどうかという問題は等閑視できない。近年、同和の研究と教育は大きく改変した。本書はそれより以前に書かれたものなので、階級制度の認識をはじめとし、今日的には古い見立てが少なくない。しかし、本書は演劇史をめぐる書物としては、素晴らしい輝きを誇っていると思う。

 

もうひとつ参考にした資料として、尾崎宏次の「現代の演劇」という論文がある。『岩波講座 日本文学史』第11巻のうちの一冊だ。記事では紹介しなかったが、柄谷がふんだんに使っていた「写生」という語―概念が、いかにこの時代の歌舞伎にとって重要だったかが知れたし、大笹本と並行して読むのにちょうどいい本だった。大笹の『日本現代演劇史』は買おうと思っている。

 

 

付記

「車は任せろ」と言っておきながら他人の車に衝突し、往来であろうと妻を殴る――念のために言えば妻も余裕で手をあげる――、あの山口組の息子にもその乱暴ぶりを怖れられた(らしい)柄谷行人だけれど、現在、どちらかといえば好々爺にちかい雰囲気になっている。こういうところも坂口安吾に通じるかもな。

なんだかほっこりするよね。この顔(かんばせ)。

 

 


柄谷行人:哲學是普遍思考