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すべて真実

信仰の契機 ーー説話文学にみえる発心 弐

近年、龍樹の著作群の見直しが量られている。大智度論』『十二門論』など、龍樹が書いたとされる著作の数は少なくない。しかしながら、最新の研究では龍樹の新作は『中論』のみという学説が支持を集めており、さまざまな本やシンポジウムで紹介されているーー無論、批判もあるーー。

 

以前、発心を主題とした観音信仰譚を紹介した。  今回も発心をめぐる説話を一つとりあげるのだが、その主人公がほかならぬ龍樹である。

 

龍樹は釈尊の多様な教義のなかでも特に縁起の教えを尊び、また空の思想を体系化した思想家として知られる。今日高等学校で扱われる程度の歴史の教科書を開くと、「大乗仏教の大成者」というようなかたちで紹介もされる。この書かれ方には違和を感じざるを得ないが、仏教思想史上極めて天才的な人物であったという評価を窺わせる。  

 

ここに取り上げる説話「龍樹菩薩先生以隠䒾笠犯后妃事」は、『法苑珠林』『今昔物語』等にみえる物語である。

龍樹が俗人であった頃、悪友とともに女性たちを強姦し、つぎつぎに子をなさせたという逸話は有名で、芥川が自作小説に用いたことでも知られている。

説話によると、龍樹は悪友二人とともに「隠れ䒾の薬(透明薬)」を作り出し、王宮へと忍び込んだという。そして「もろもろの后犯す」。后たちが御門に相談すると「時に御門、賢くおはしける御門にて、この者(物)は、形を隠してある薬を作りてある者(物)ども也。すべきやうは、灰をひまなく宮のうちに撒きてん」。宮中の者どもがあちこちに灰を撒き散らしたため、歩行したところに足跡がのこるようになり、二人の悪者は居場所がばれて斬り殺される。龍樹はというと、后の服の裾のそばに身を隠していたため、難を逃れたのである。宮中の者たちは忍び人が二人であったと思い込み捜索を止める。隙を見て龍樹は抜け出し、出家したという。物語は「されば、もとは俗にてぞ」で締め括られる。    

 

上記の物語は仏典や説話集によって内容に若干の異同がある。だが、上に引いた作品の真面目は、やはり最後の一文「されば、もとは俗にてぞ(つまり、〔龍樹菩薩は〕元々は俗人だったのだ)」にあると思う。  

訳註をほどこした高橋貢によると、『今昔物語』の類話では「外法は益なし」と知り出家したと書かれているらしい。この点を考慮すれば、俗人の発心、そして俗人でも聖人になることが可能であるという薦めの積極的な肯定が主題化されているものと読める。しかも話のモデルがかの龍樹であるという点が味噌であろう。    

 

とはいえ、龍樹の発心の契機の所在がどこにあるかといえば、説話は理由を語っていない。つまり、友人が死んだことが動機となったのか。あるいは、快楽の無意味さを感じたことが動機となったのか。この点がいまいち判然としない。  鳩摩羅什訳と伝えられる『龍樹菩薩伝』(No. 2047)では、「是時始悟欲爲苦本衆禍之根」(T2047_.50.0184b21〜T2047_.50.0184b22)とあり、欲望が無益であり苦の根源であることの気づきが出家の動機であったと述べられている。

 

世俗時代の龍樹の物語は、思うに、世俗の人々にとって出家や哲人への親近感を感じるような説話であったことだろう。また、高橋貢も指摘するように、色欲が大いに関与する点に説話らしさを大いに感じることができる。

 

ちなみに東京大学は『龍樹菩薩伝』を「高校生にも読めるように」、という意図で翻訳している。当然ながら、今回確認した伝説も登場する。

 

https://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT2018/JT2047.pdf 

https://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT2018/JT2047.pdf