■ph■nisis

すべて真実

死にたいのなら死ねばよい

 

 

ラカン派の精神分析では、しばしば「死すべき運命」なるものが言及される。主体が自らの欲望のうちに死ぬということ、精神分析の倫理にかかわる、「自らの欲望のうえで譲らない」という論理。

実際、ラカンに関して言えば自殺肯定派だからな。治る見込みもなさそうな奴のカルテで、うまく自殺で片付くといいのだが…なんてことさえ言っているからね。

 

しかし、まあたしかに死ぬのは簡単なんだよな。だから、安吾の言ってることを、ラカン派の言っていることと同じぐらい支持できるよ。ワタシは。

 

死ぬ、とか、自殺、とか、くだらぬことだ。負けたから、死ぬのである。勝てば、死にはせぬ。死の勝利、そんなバカな論理を信じるのは、オタスケじいさんの虫きりを信じるよりも阿呆らしい。  

人間は生きることが、全部である。死ねば、なくなる。名声だの、芸術は長し、バカバカしい。私は、ユーレイはキライだよ。死んでも、生きてるなんて、そんなユーレイはキライだよ。  

生きることだけが、大事である、ということ。たったこれだけのことが、わかっていない。本当は、分るとか、分らんという問題じゃない。生きるか、死ぬか、二つしか、ありやせぬ。おまけに、死ぬ方は、たゞなくなるだけで、何もないだけのことじゃないか。生きてみせ、やりぬいてみせ、戦いぬいてみなければならぬ。いつでも、死ねる。そんな、つまらんことをやるな。いつでも出来ることなんか、やるもんじゃないよ。

 

坂口安吾「不良少年とキリスト」. 

 

然し、生きていると、疲れるね。かく言う私も、時に、無に帰そうと思う時が、あるですよ。戦いぬく、言うは易く、疲れるね。然し、度胸は、きめている。是が非でも、生きる時間を、生きぬくよ。そして、戦うよ。決して、負けぬ。負けぬとは、戦う、ということです。それ以外に、勝負など、ありやせぬ。戦っていれば、負けないのです。決して、勝てないのです。人間は、決して、勝ちません。たゞ、負けないのだ。  

勝とうなんて、思っちゃ、いけない。勝てる筈が、ないじゃないか。誰に、何者に、勝つつもりなんだ。  時間というものを、無限と見ては、いけないのである。そんな大ゲサな、子供の夢みたいなことを、本気に考えてはいけない。時間というものは、自分が生れてから、死ぬまでの間です。

 

坂口安吾「不良少年とキリスト」.

 

 

まあ、次の言葉を信じたって両立はする。死への意志で死を圧倒するんだから。それは「生」で「死」を圧倒するエネルギーと同じだろう。草間彌生だってそうだ。

 

 

ガルルがやられたときのやうに。   

こいつは木にまきついておれを圧しつぶすのだ。   

そしたらおれはぐちゃぐちゃになるのだ。   

フンそいつがなんだ。   

死んだら死んだで生きてゆくのだ。   

おれの死際に君たちの万歳コーラスがきこえるように。   

ドシドシガンガン歌ってくれ。   

しみったれいはなかったおれじゃないか。

 

草野心平「ヤマカガシの腹の中から仲間に告げるゲリゲの言葉」.

 

 

草間彌生はたしかに芸術によって自らの病いをなおしてゆくのだとも語っている。だが、支離滅裂な全体のなかに閃光のようなパッセージをちりばめた処女小説『マンハッタン自殺未遂常習犯』(78年)では、さらに、「病いは死よりも強いというのが、結論であった」という恐るべき洞察が語られている。そして、作者は、「自殺未遂を何回もして、病いをおどろかしてやりたいの」と、いたずらっぽく付け加えるのだ。病いと同一化し(晩年のラカンが、症候を解消するのではなく、症候と同一化することを最終目標として、それを<sinthome>という古語で表現したことが思い出される)、病いを芸術に転化することで、死に打ち克つ。

 

浅田彰草間彌生の勝利」.

 

 

 

正覚考

きのうの夜、zoom呑みの最後は鈴木との一騎打ちで、わたしは正覚講の政治について饒舌に語った。

正覚講とはわたしが参加している勉強会のことだが、鈴木が「ポリティカルな話」をふっかけてきたことを契機に、正覚講こそ政治である、ということを話した。それを踏まえて、このとき話さなかったことをここに付す。

 

 

ーー行為と状況としての正覚講、非ホモソーシャル、ウスネオイデス

 

正覚講とは共同体ではない。「集団」でもない。それは、メンバーひとりひとりが何某かの信条を共有しているということもなければ、何かを目指して集まった結果としてあるというわけでもないからである。むしろ正覚講は「場」としてある。それは「講」という語が「サークル・集団」という意味を副次なものにしていることからも明らかである。「講」とは歴史的にみて、まず「解き明かす」「考える」という〈行為〉を意味し、「法会」「集会」といった〈状況〉を指す。ゆえに「正覚講」とは「会」であり、それは活動そのもの、そして状況としての意味性を帯びる。

しかし、実のところ、これは今になってわたしが行った解釈である。正覚講を緩やかな性格を帯びた「場」とするなど、当初は考えられていないものだった。寧ろ、初期の正覚講は、堅い信条のもとに結成された、まさに共同体だったと言っていい。それが時間の流れの中で解体され、思いもよらぬ形になったわけだ。

したがって、場としての正覚講、あるいは理念なき正覚講は、メンバーの入れ替わりや具体的な活動ーー念のために言えば、正覚講の活動の半分程度は、非正覚講の人間が関与しているーーを通して産出されたものだと言える。理念を前提に活動を続けるという形態が崩壊した結果、正覚講は環境を条件に成立する、有機的で緩やかなものになったといえる。つねに運動を続けているからこそ、正覚講は言葉に回収しきれない性格をもった、何物かである。

 

正覚講が共同体でないことを論証するために、もうひとつ説明をくわえよう。エマニュエル・レヴィナスは、共同体はそれを構成する個人個人を反映すると言った。同じ信条を持った人間同士が共同体を形成した結果、その共同体そのものが1人の個人になると考えた。しかし、正覚講のメンバーが何か単一の(そして複数の)信条のもとに活動しているわけではない以上、共同体として存在していないことが論証できるーー同時にこの事実は、正覚講がホモソーシャル的でないことをも指示しているーー。

 

もうひとつ重要なのは、正覚講は大学が指定する機関ではないという事実である。正覚講が組織ーーしかも「大学」という機関ーーに傘下化されていない以上、ホモソーシャルな共同体ではないことが指摘できる。ゆえに正覚講は、浮遊する根なき植物、ウスネオイデス的であると言える。

しかし、正覚講が外部を持たないわけではない。たとえ正覚講が観念的な、実際的な、瞬間的な場であったとしても、場が想定される以上、必然的に外部が想定される。だからこそ、ここでも正覚講が政治的であると言い得るのである。それはアンリ・ルフェーヴェルが〈空間〉とよんだもの、投企が目的化したものそのものなのであり、近代建築への批判ーー疎外論理と細分化への批判ーーを体現しうるのである。

 

 

 

 

恥と誇り ――トラウマの神話化、ホモソーシャル

 

 

 

 

兼ねてよりわたしはこのブログにおいて、次の中井久夫の短い文章をたびたび引用してきた。

 

 

心的外傷には、土足で踏み込むことへの治療者側の躊躇も、自己の心的外傷の否認もあって、しばしば外傷関与の可能性を治療者の視野外に置く。しかし患者側の問題は大きい。それはまず恥と罪の意識である。またそれを内面の秘密として持ちこたえようとする誇りの意識である。さらに内面の秘密に土足で入り込まれたくない防衛感覚である。たとえば、不運に対する対処法として、すでに自然に喪の作業が内面で行なわれつつあり、その過程自体は意識していなくても、それを外部から乱されたくないという感覚があって、「放っておいてほしい」「そっとしておいてほしい」という表現をとる。

 

中井久夫「トラウマとその治療経験」『徴候・記憶・外傷』

 

 

 

難しい話ではある。誰だってトラウマに対して「恥」と「誇り」という、ある種、分裂した印象を与えているだろう。

外傷経験を、想起とか症状というかたちで反復する人間は、外傷経験に対し、しばしば次のような態度をとるのではないか。「ああいう経験をしたのは自分に落ち度があるためなのではないか」「このような経験をしているのは自分だけであって周囲にはいない」など。家庭内暴力、レイプ、虐め。かような経験の反復は、自己否定という意識を生起させる。これが恥や罪と中井久夫が名づける意識である。

他方、こういった意識は誇りという意識に結び付く。辛い経験――外傷を堅く護る意識、あるいは、辛い経験を経た「わたし」という意識である。恥、罪、誇りの共存。中井久夫が「問題」としているのは、そういう患者(とここでは言われているのでこの語を使う)の意識が、しばしば治療の困難さを助長させているということだが、しかし、それは中井久夫が医師であり、患者の治癒を共助する立場にある人間であることが前提であるのを忘れてはなるまい。

わたしは特別、言うことはない。つまり、医師ではないわたしが言うことは何もないというわけで、実のところ恥と罪と誇りの共存は致し方ないことだし、近しい人間にそれを強要させたり、諭したりするような真似はしない、という立場である。友人をはじめ、近しい人に対しては、ただ「幸せに生きてほしい」と祈るばかりである。

 

ところで、恥と誇りとを内面にたたえた者同士が連帯という関係を構築した場合、これがひとつの共同体となりえる可能性を排除することはできない。そしてこれは、いわゆる〈ホモソーシャル〉な場を構築するのに十分な機能を果たしうる。

ホモソーシャルの本質とは、「ある物語を経験したわたし」ないし「わたしと同じような経験をした人物」以外の人間に、すなわち他者――しばしば異性、マジョリティと彼らが呼ぶ者たち――に対し、「お前(たち)には理解ができないだろう」という価値を一方的に与えるような共同体である。そこでは内輪の連帯と他者の排除という論理が緩やかに働いている――したがって理解という形であれ決闘という形であれ、他者との対話を諦めない人々はホモソーシャルではないと考える――。この種のホモソーシャルな場、つまり、外傷経験が関節の機能を果たすホモソーシャルな場は、自己のトラウマ的過去の共感や理解を得られた者同士で組織される。

郷原佳以は「非性器的センシュアリティを呼び戻すために 松浦理英子論序論」(『現代思想』「フェミニズムの現在」所収)において当にこの点、「異性に理解されえないものとしての「生理」の神秘化」、「「男の生理」「女の生理」と言われる意味での生理」の神秘化を論じている。本来なら松浦論を紹介してからこれを言うべきなのだが、この論文(そして松浦理英子)はむしろ、絶対に読まれるべき価値のあるものなので敢えてしない。したがって結論をいえば、脱神秘化こそマイノリティもマジョリティも目指さなければならないものであると、郷原佳以は断じる。

 

 

異性に限らず、他人にわかるわけのない特異なものとしての自分(たち)の経験を祀り上げる神秘化こそが問題なのである。だとすれば、松浦の問題提起が現代ますますアクチュアルなものであることは明白だろう。マイノリティもマジョリティも自分(たち)の経験の神秘化を止めない限り、ホモソーシャルな共同体から抜け出すことはできない。

 

郷原佳以,「非性器的センシュアリティを呼び戻すために 松浦理英子論序論」(『現代思想』「フェミニズムの現在」所収.

 

 

しかし、個人的な実感からすると、マイノリティにしてもマジョリティにしても、ホモソーシャルな場(から)の脱却、あるいは回避というのは、かなり高度な難問だろうと思う。いわゆる悪しき「当事者性」といってもいい。

ホモソーシャルな関係から抜けたところで、結局悪しき独我論に陥る可能性は避けがたく――ホモソーシャルを抜けたところで神秘化は抜け切れていない――、他者との対話の可能性がますます希薄になりかねない。それに、ホモソーシャルな関係を構築している人間は、決してホモソーシャルな関係(にあること)に悪びれないだろう。わたしは到底やろうとは思わないが、しばしば彼らは親しい人物であろうと遠い人物であろうと、外傷経験の共感や理解を得ようとしたがる――もっとも、わたし自身、必要と思われたときに、ただ「話す」だけならすることはあるが――。そして共同体における繋がりの深いものが経験の共感や理解である以上、その部分が靭帯の機能を失ったとき、関係性そのものの破綻に繋がりうる。ホモソーシャルな関係の、後々表面化しうる厄介さといってもよいかも知れない。

個人的には恥の意識も罪の意識も、それから誇りの意識も否定はしないよ。これらの別のヴァージョンは、生きる意志や他者との対話、政治活動の希望になりうるからな。ただ、すくなくとも「祀り上げ」だけはよせよな。醜悪だしみっともないぜ。

 

 

 

楽しき昼時また午后の時

 

昨日、わが麗しき恋人が家に来た。昼を回って半刻ほどした頃に。

つい2時間前に、遊びに来ることになったのだ。

 

お昼時なので御飯をつくらせてもらった。

鶏肉と長葱を目一杯つかったお蕎麦。それからかつ丼

蕎麦の薬味は生姜と山葵。飲み物には一保堂の麦茶、酒は菊水。

それから、祖母がもう何年前から漬けつづけている古梅酒。

ソーダで割って差し出したら、「グラスが洒落てる」と言われる。

梅は家の庭に咲いた実をつかっていた。

 

 

f:id:pas_toute:20210213214303j:plain

 

 

飯を済ませて、地元の大きな公苑にむかう。

側に中学校があるから、ジャージ姿の学生がちらほら見えた。

帰宅してからは夕方まで、お菓子を摘んだり茶を啜ったりして時を過ごした。

妹が帰宅すると挨拶して、彼女はわれわれに菓子をくれた。

もっとも、恋人は食べ残していた。厭なのではなく、忘れていたようだ。

 

彼女は僕に貸していた漫画数冊を手に帰って行った。

駅まで送って、その日はわかれた。

 

 

聖母の祈り ーーテンプル騎士団の「Salve Regina」

 前回に続き、今回は「Salve Regina」を訳してみた。

「Salve Regina」は聖母への祈りの歌であり、よく知られた二種類のグレゴリオ聖歌があるが、それとは別の「異本」ならぬ「異曲」をマルセル・ペレス / アンサンブル・オルガヌム Marcel Pérès / Ensemble Organum が今から30〜40年ほど前に発見・録音している。

これがまたかなり「曰く付き」の曲で面白く、ひょっとしたらアンサンブル・オルガヌムの録音のなかで1番よく知られたものかも知れない。まあ解説めいたものは記事の最後の方に載せるとして、とりあえず曲と歌詞を付す。訳はラテン語原文と英訳を頼りにした。前回(前記事)以上に、今回は読み易さと意訳の色を濃くさせているので、原文と訳文との間で、文の位置関係など色々差異がある。また、三連目からは韻文なのだが、到底自分の手に負えるはずもないので考慮していない。 

 

前記事の「Kyrie : Orbis factor」同様、この曲も極めて切実な雰囲気に満ちている。音楽面もさることながら、詩の痛切さも印象的である。とくに前半「Ad te clamamus exules filii Eve. Ad te suspiramus gementes et flentes in hac lacrimarum valle.」など凄まじい感じさえする――実はぼくもちゃんと歌詞を調べたり読んだりしたのが今回が初めてのことで、なかなか驚いたものである――。

 

 


Le Chant des Templiers: VIII. Antiphona "Salve Regina"

 

 

Salve regina misericordiae

Vita dulcedo et spes nostra salve.

Ad te clamamus exules filii Eve.

Ad te suspiramus gementes et flentes in

hac lacrimarum valle.

 

お聴きください,女王よ,憐みください.

私たちの命であり,恩寵であり,また希望であらせられる御方よ,お聴きください.

私たち追放されたエヴァの子たちは,

この噎びを御身の許へと響かせましょう.

嘆き,また悲哀に泣いている私たちは,ここ盡きることのない涙の谷にて,御身に向けて吐息をついているのです.

 

 

Eia ergo advocata nostra, illos tuos

misericordes oculos ad nos convente

Et ihesum benedictum fructus ventris tui

nobis post hoc exilium ostende.

O clemens, o pia, o dulcis Maria.

 

ああ,どうぞそれ故に,

私たちをお守りくださる方,

御身のその憐みに溢れる眼差しを,

いままた私たちに注いでください.

そうして,私たちに与えられた追放の罪が贖われるころ,

御身の愛でたき肚の実である救世主の姿をお示しください.

ああ,心優しく虔しみ深き,甘美なる乙女,マリアよ.

 

 

Alpha et omega misit de

superis gloriosum solamen miseris,

cum Gabriel a summa gerarchia

paranimphus dicit in armonia :

Ave Vingo Maria

O clemens, o pia ,o dulcis Maria.

 

主は天より遣わされました,

苦しみのうちに栄光の慰めをもたらすために,

ラニンフとして訪れた誉れ高き天使ガブリエルは,

和やかに宣言をいたしました.

めでたし乙女マリア,

ああ,心優しく虔しみ深き,甘美なる乙女,マリアよ.

 

 

O pastores pro Deo surgite,

quid vidistis de Christo dicite.

Reges Tharsis de stella

visione sint testes in apparitione :

Ave Virgo Maria.

O clemens, o pia ,o dulcis Maria

 

羊飼いたちよ,神の御前に立ち上がりなさい,

あなたが救世主を目にしたことを語らいなさい,

タルシシュの王たちに証言をさせるのです,

彼らが星の出現を目にしたことを.

めでたし乙女マリア,

ああ,心優しく虔しみ深き,甘美なる乙女,マリアよ.

 

 

Fons humilis aquarum puteus,

rosa mundi, splendor sydereus,

amigdalus Aaron fructuosa,

precantibus esto lux gloriosa :

Ave Virgo Maria.

 

つつましく,また豊潤なる泉,

水にして,また世界の薔薇,

アーロンの芽吹く杖,

御身に祷る者にとっての栄光なる光となりますように.

めでたし乙女マリア,

 

 

Salve regina misericordiae

Vita dulcedo et spes nostra salve.

Ad te clamamus exules filii Eve.

Ad te suspiramus gementes et flentes in

hac lacrimarum valle.

 

お聴きください,女王よ,憐みください.

私たちの命であり,恩寵であり,また希望であらせられる御方よ,お聴きください.

私たち追放されたエヴァの子たちは,この噎びを御身の許へと響かせましょう.

嘆き,また悲哀に泣いている私たちは,ここ盡きることのない涙の谷にて,御身に向けて吐息をついているのです.

 

 

Eia ergo advocata nostra, illos tuos

misericordes oculos ad nos convente

Et ihesum benedictum fructus ventris tui

nobis post hoc exilium ostende.

O clemens, o pia, o dulcis Maria.

 

ああ,どうぞそれ故に,

私たちをお守りくださる方,

御身のその憐みに溢れる眼差しを,

いままた私たちに注いでください.

そうして,私たちに与えられた追放の罪が咎められるころ,

御身の愛でたき肚の実である救世主の姿をお示しください.

ああ,心優しく虔しみ深き,甘美なる乙女,マリアよ.

 

Salve Regina

Chantilly, Musee conde ms. XVIII b.12』「Manuscrit du Saint-Sépulcre de Jérusalem」.

 

 

 

―――――――――――――――

以下、解説。

この「Salve Regina」は、シャンティイのコンデ美術館が所蔵している写本――『Chantilly, Musee conde ms. XVIII b.12』「Manuscrit du Saint-Sépulcre de Jérusalem」に所収されている曲だという。マルセル・ペレスの解説によれば、19世紀中葉にオマール侯爵が買収したらしい。

 

 

f:id:pas_toute:20210213201019j:plain

Manuscrit du Saint-Sépulcre de Jérusalem

 

Manuscrit du Saint-Sépulcre de Jérusalem」を直訳すれば「エルサレムの聖墳墓写本」となるが、この名前が示すように、エルサレム聖墳墓教会から出土されたものらしい。典礼作法書なので、この写本は聖墳墓教会で活動していた信者たちが使用していたものと推察されるのだが、聖墳墓教会に関係のある人間といえば、テンプル騎士団が真っ先に挙がるだろう。

したがって件の「Salve Regina」はテンプル騎士団が編み出した、彼らのための曲であるということができる。あのテンプル騎士団が礼拝をおこなっていたとはなかなかイメージしがたいが、マルセル・ペレスによれば騎士たちは典礼に熱心だったらしい。もっとも、活動的だった彼らはミサに出席できないこともあったので、それを補填するために1日の間に「Pater Noster」を数回称えるなどの処置をおこなったりもしたらしい。とくに個人的に面白かったのは次の話。第5回十字軍におけるダミエッタ包囲戦(1217~1221)で寝込みを襲おうと考えたイスラム教徒は、騎士団に対して夜に襲撃をかましたが、騎士団たちは夜の典礼のために起きていたので対抗できたらしい。

 

During the siege ofDamietta in the Fifth Crusade, a night raid by the Muslims was foiled because the Templars were celebrating the Office ofMatins in the tent that served as the Order's chapel. Thus they were able immediately to repulse the attack.

 

Marcel Pérès,Charles Johnston(Trans).

Marcel Pérès / Ensemble Organum「Le Chant Des Templiers」ブックレット.

 

 

f:id:pas_toute:20210213200903j:plain

ダミエッタ包囲戦

 

ところで、先に掲げた写本の写真からも確認できるように、楽譜の記譜法はフランコ様式に依拠しているようである。フランコ記譜法はアルス・アンティカの記譜法なので、サン・マルシャル楽派やノートルダム楽派の影響を受けたものだと考えることができるだろう。マルセル・ペレスによれば、典礼の指示はパリ教区の司祭アンセルムに委ねられていたらしい。ゆえに、パリの音楽家たちの理論が採用されているのは、典礼書自体はフランスで作られたからなのだ。

「Salve Regina」は先述したようにグレゴリオ聖歌にも存在するアンティフォナで、詩に違いがある。グレゴリオ聖歌の「Salve Regina」の場合、(テンプル騎士団の「Salve Regina」の歌詞で説明するなら)最初の二連のみが全文になる。つまり「Salve Regina ~ o dulcis Maria」のみで、「Alpha et Omega」以降は、完全にテンプル騎士団独自の「Salve Regina」となる。

下にグレゴリオ聖歌版「Salve Regina」のうち一つを貼る。第1旋法の聖歌で、テンプル騎士団の「Salve Regina」がこれを踏襲しているのは明白である。なお、下の動画の指揮者はジョン・ラター。

 

 


Salve Regina - Gregorian chant, John Rutter, The Cambridge Singers

 

 

オリジナルの詩はヘルマヌス・コントラクトゥスの作によるものと考えられており、テンプル騎士団の「Salve Regina」の作者は不明である。ひょっとしたらアンセルムかも知れないが、いずれにしても13~14世紀のパリで活躍していた宗教者・音楽家の手によるのだろう。

マルセル・ペレスによれば、騎士たちは就寝の前に「Salve Regina」を唱えていたらしい。 「受肉の神秘を讃えた歌」と紹介されているように、聖母の讃歌という意味だけでなく、受胎の祝福や豊穣の讃嘆といった宗教的意味合いが付加されているのは面白い。

 

「Salve Regina」はジョスカンがのちに素晴らしい編曲を施しているし、バッハやペルゴレージもこの詩に曲をつけている。アルヴァ・ペルトも官能的な作品をつくっていて、いかに時代を超えて愛されているかが窺える。

 

 

曲や詩に関する面白いことはまだまだあるのだが、長くなったので別記事にする。