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すべて真実

老を向ふるもの

 

若いうちに死にたいとは思わないが、老いることへの怖気に、二十を迎える直前から震えはじめた、ということはある。

つい先日に一周忌を迎えた古井由吉の、「急坂にさしかかったころ」ーーと本人が言っていたーーに書かれた一作、「辻」ーー短編集『辻』所収ーーは、老いが誘う狂れと、それを間近に見つめ、徐々に狂うその人間の血が、自分の内にも通っていることを折節に自覚する恐怖を描いた、短編の作品である。

老いを狂気への接近と見る古井由吉の思想は、すでに『仮往生伝試文』『白髪の唄』といった中期の作品にわかりやすく出てくるし、それ以前の初期作品にも萌芽らしいものを見つけることはできる。

 

老いるということは。しだいに狂うことではないか。おもむろにやすらかに狂っていくのが本来、めでたい年の取り方ではないのか。では、狂っていないのは、いつの年齢のことか。そうまともに問いつめられても困るのだが‥‥‥。

 

古井由吉「声まぎらはしほとゝぎす」.

 

また、「辻」に登場する「悪相」という語も、老年を迎えた男の面相を指す語として、古井由吉の小説に登場する。『忿翁』などでは、「悪尉」という言葉が用いられていることもあるが、古井の小説における老人の顔貌のイメージは、しばしば能面を借りて具体化されている。

朝原は狂いつづける父に憎悪の念を懐かれる。朝原もまた、父に憎悪を懐く。親戚から別居を勧められ家を離れた暮らしを始めるが、ある夜、何となく家に帰ったところ、玄関先で父に見つかる。父親は怒り猛り、既に意味の頽れてしまった言葉を朝原に発する。当の朝原は、我が身のかたちが父親に近づいてることを悟っていた。

 

門の前に立ってことさらに標札を見あげる自分の体格が、この三カ月の間にも一段とまたいかつくなったのが自分でも見えた。両の腕を長く脇へ垂らしていた。掌は今まで物を握り締めていた形に半ば開いていた。大きな手だった。

風が吹き出して、裏山の葉が馬道の方角から順に裏を返して流れた。何もかも終ってこの動作もこのまますでに記憶となった心地がして門をくぐった。それでいて、これもじきに忘れてしまうので、今のこの自分を覚えていてくれ、と辻の方へ訴えるようにした。すこし猫背になっていた。

玄関を入って来た朝原を見るなり悪相を剥いて、何処の馬の骨だか知らんが、庭のほうへ回れ、と喉声で叫んだきり顎から喘いで崩れ落ちた父親を、母親は膝の上にやっと受け止めて、早く逃げてと哀願するような、縋るような眼を朝原に向けた。

 

古井由吉「辻」.

 

憎む者の血を通わせた自分を、どうして呪わないでいられようか。

私の知人の阿川という男の母親は、もう5年も前になるが、さる一件で正気を失い、極度の妄想から家族と衝突もし、仕事も休まざるを得なくなった。文字通り「壊れた」らしい。当然医者にも診てもらったようだが、もはや手の施しようもなく、数錠の薬だけ出されて仕舞われたらしい。診察後、家族への説明のなかで、「よくまあ、ああなるまで」と放っていたことを医師に笑われたそうな。

「放っていた」とは聞こえが悪いが、阿川に言わせれば、母の狂れの兆候らしいものを生活の中で感じたことはなかったが、母の母、つまり彼の祖母と電話をしたとき、もう数十年も前のこと、おそらく中学の頃だったが、母のなかでそれらしいことがあったのを教えられたらしい。つまり、阿川の母の狂気は、返り咲きということになろうか。

それから間もなく父母は別れたが、父の方にも、別種ではあるが、そういう「ケ」はあったのではないかと阿川は後から私に言った。新年の席、父方の親族が集まったとき、父は怒号を張り上げて父の母と諍いをしたらしい。父の父や兄妹も加わったというので、みな「悪相を剥いて」諍々としていたにちがいない。唯一、叔父だけが阿川に対し、これは間違っているんだ、こうなってはいけない、とひっそり耳打ちしたらしい。

阿川は私に、自分もああなるのではないか、自分にもああいう運命が待っているのではないか、と不安を口にして、最後に婚姻への恐怖を語って噤んだ。

 

しかし、私の方も、年々進む祖父祖母の老化、父母の衰えには静かに慄いたものだ。あれだけ明晰で起伏も整えられていたのが、僅か4、5年も前から、少しづつ乱れはじめた。記憶は曖昧になり、情緒も些細なことで崩れる。醜怪な男女の様子を前に、長く生きることを祈り、願う営みが喜ばしいことであるか、その記憶が、あとあと禍の価値をもつ烙印になるのではないか、祝った側も、呪詛を与えた者として後ろめたくはならないか、と徐に笑いにも似た顔になる。

したがって、私自身、阿川とは違う理由ではあるがーーどちらかといえば朝原に近い理由でーー自分の血とか老いゆく心身を疎んだものだし、今日でも想起することはある。この先も折節に胸にするだろうが、しかし、これを死にむかいつつある作用であるとみれば、老いの狂いを憎み切ることもできない。むしろ変調を変調とわかりやすく見せてくれる点、恩恵のようにさえ思われるところがある。そうとなれば、血にも老いにも、呪う理由は曖昧になり、許容とか余裕とかいう咄では到底ないけれど、覚束ないながらも距離は掴める。すくなくとも、距離を掴もうという気は生まれる。

 

阿川の姉は、それから半月もしてあっさり関西住まいのひとと一緒になって、結婚を正式にした頃には出産も済ませた。それまでは関東の名の知れた劇場で照明の職に就いていたが、一切合切すべてを辞めて、関西では保育士になったらしい。阿川は、当初はとてもではないが受け容れ難い展開だったとは言いつつも、仕合わせそうな姉に胸を撫でおろしているようでもあった。実際、そのときの彼は微笑んでいた。

それでもきっと不安ではあったろうが、そのようなことは余所に、血が繰り返されるとは限らない、というより、血がどういうかたちで反復するかなどわからないものだと言った方が精確だろうが、とにかく、呪いの効果というのはきっと、一様じゃあないんだと、肩を叩いた。

それから1か月も経たず、彼の母は偶に調子を訊ねる程度の連絡を、寄越しはじめたらしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

未熟について

私が教員をやめるときは、ずいぶん迷った。なぜ、やめなければならないのか。私は仏教を勉強して、坊主になろうと思ったのだが、それは「さとり」というものへのあこがれ、その求道のための厳しさに対する郷愁めくものへのあこがれであった。教員という生活に同じものが生かされぬ筈はない。私はそう思ったので、さとりへのあこがれなどというけれども、所詮名誉慾というものがあってのことで、私はそういう自分の卑しさを嘆いたものであった。私は一向希望に燃えていなかった。私のあこがれは「世を捨てる」という形態の上にあったので、そして内心は世を捨てることが不安であり、正しい希望を抛棄している自覚と不安、悔恨と絶望をすでに感じつづけていたのである。まだ足りない。何もかも、すべてを捨てよう。そうしたら、どうにかなるのではないか。私は気違いじみたヤケクソの気持で、捨てる、捨てる、捨てる、何でも構わず、ただひたすらに捨てることを急ごうとしている自分を見つめていた。自殺が生きたい手段の一つであると同様に、捨てるというヤケクソの志向が実は青春の跫音のひとつにすぎないことを、やっぱり感じつづけていた。私は少年時代から小説家になりたかったのだ。だがその才能がないと思いこんでいたので、そういう正しい希望へのてんからの諦めが、底に働いていたこともあったろう。

 

坂口安吾「風と光と二十の私と」

  

 

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ああ、安吾って優しい奴だな。ここまで優しい文学者って他にいるのかい? 草野心平ぐらしいか思いつかないよ。だから、坂口安吾を根性論の焼糞野郎だと思ってる奴は、改心していただきたいね。

 

ところで、安吾はつねに未完成的である。未完成が完成として貫かれているようである。それは宮沢賢治的な、未完成を完成の一形態と見做すような意味ではなくて、つねに未完成というか、未熟さが主張にまつわりついている。そればかりか、その文体も主張も整ったかたちをとっておらず、場所も時間も性も数も格も不整合な感じである。未熟さや未完全さ、歪さが徹底的に認められている。例によって柄谷行人がこれを指摘している。

 

安吾のテクストはまだほとんど汲みつくされていない「可能性」として活きて いる。安吾はつねに過激であり未完成である。というより、彼は完成とか成熟といった制度的な観念と無縁であった。この「未完成」が、 いかなる「完成」にもまして、われわれを刺戟し挑発しつづけている。 知的であることと肉体的であること、倫理的であることと超倫理的(アモラル)であること、地を這うことと天翔けること、 西洋的であることと東洋的であること、文学的であることと反文学的であること、そうした両極性が安吾のテクストほどにダイナミックに統合されている例を私は知らない。

 

柄谷行人安吾はわれわれの「ふるさと」である」.

 

 

安吾は、人間とはわけのわからなぬものだと言ったり、運命を不思議なものだと言ったり、自分の憧れが世捨てだと言ったりする。したがって、断言的ではあるが、物事の奇妙な曖昧さが常に漂流している。安吾が断じているそれらが実のところ何であるか、いつもいまいちわかりかねる。苛烈な口調のなかに、そういう決定の欠如がある。けれど、それは近代文学的な曖昧さだとか、不明瞭さとは無縁である。安吾は決定を欠かすが決して不明瞭ではない、そういう両価性を孕んでいる。彼の口調、主張はむしろ活き活きとしていて瑞々しい。

それはセンシュアルな体験である。安吾の文体から熱気とか力強さといった手触り=感官的=センシュアリティをわれわれは得るが、その感触は確かなもののはずだ。それなのに理解だとか納得だとか、決定性を欠いている。しかし、こういう「感じる」という世界こそ、安吾の文学性、芸術性において最も重大な位置を占めているのだ。

 

 

「感じる」ということ、感じられる世界の実在すること、そして、感じられる世界が私達にとってこれ程も強い現実であること、此処に実感を持つことの出来ない人々は、芸術のスペシアリテの中へ大胆な足を踏み入れてはならない。

 

坂口安吾「FARCE」に就いて」.

 

 

 

 

 

 

死にたいのなら死ねばよい

 

 

ラカン派の精神分析では、しばしば「死すべき運命」なるものが言及される。主体が自らの欲望のうちに死ぬということ、精神分析の倫理にかかわる、「自らの欲望のうえで譲らない」という論理。

実際、ラカンに関して言えば自殺肯定派だからな。治る見込みもなさそうな奴のカルテで、うまく自殺で片付くといいのだが…なんてことさえ言っているからね。

 

しかし、まあたしかに死ぬのは簡単なんだよな。だから、安吾の言ってることを、ラカン派の言っていることと同じぐらい支持できるよ。ワタシは。

 

死ぬ、とか、自殺、とか、くだらぬことだ。負けたから、死ぬのである。勝てば、死にはせぬ。死の勝利、そんなバカな論理を信じるのは、オタスケじいさんの虫きりを信じるよりも阿呆らしい。  

人間は生きることが、全部である。死ねば、なくなる。名声だの、芸術は長し、バカバカしい。私は、ユーレイはキライだよ。死んでも、生きてるなんて、そんなユーレイはキライだよ。  

生きることだけが、大事である、ということ。たったこれだけのことが、わかっていない。本当は、分るとか、分らんという問題じゃない。生きるか、死ぬか、二つしか、ありやせぬ。おまけに、死ぬ方は、たゞなくなるだけで、何もないだけのことじゃないか。生きてみせ、やりぬいてみせ、戦いぬいてみなければならぬ。いつでも、死ねる。そんな、つまらんことをやるな。いつでも出来ることなんか、やるもんじゃないよ。

 

坂口安吾「不良少年とキリスト」. 

 

然し、生きていると、疲れるね。かく言う私も、時に、無に帰そうと思う時が、あるですよ。戦いぬく、言うは易く、疲れるね。然し、度胸は、きめている。是が非でも、生きる時間を、生きぬくよ。そして、戦うよ。決して、負けぬ。負けぬとは、戦う、ということです。それ以外に、勝負など、ありやせぬ。戦っていれば、負けないのです。決して、勝てないのです。人間は、決して、勝ちません。たゞ、負けないのだ。  

勝とうなんて、思っちゃ、いけない。勝てる筈が、ないじゃないか。誰に、何者に、勝つつもりなんだ。  時間というものを、無限と見ては、いけないのである。そんな大ゲサな、子供の夢みたいなことを、本気に考えてはいけない。時間というものは、自分が生れてから、死ぬまでの間です。

 

坂口安吾「不良少年とキリスト」.

 

 

まあ、次の言葉を信じたって両立はする。死への意志で死を圧倒するんだから。それは「生」で「死」を圧倒するエネルギーと同じだろう。草間彌生だってそうだ。

 

 

ガルルがやられたときのやうに。   

こいつは木にまきついておれを圧しつぶすのだ。   

そしたらおれはぐちゃぐちゃになるのだ。   

フンそいつがなんだ。   

死んだら死んだで生きてゆくのだ。   

おれの死際に君たちの万歳コーラスがきこえるように。   

ドシドシガンガン歌ってくれ。   

しみったれいはなかったおれじゃないか。

 

草野心平「ヤマカガシの腹の中から仲間に告げるゲリゲの言葉」.

 

 

草間彌生はたしかに芸術によって自らの病いをなおしてゆくのだとも語っている。だが、支離滅裂な全体のなかに閃光のようなパッセージをちりばめた処女小説『マンハッタン自殺未遂常習犯』(78年)では、さらに、「病いは死よりも強いというのが、結論であった」という恐るべき洞察が語られている。そして、作者は、「自殺未遂を何回もして、病いをおどろかしてやりたいの」と、いたずらっぽく付け加えるのだ。病いと同一化し(晩年のラカンが、症候を解消するのではなく、症候と同一化することを最終目標として、それを<sinthome>という古語で表現したことが思い出される)、病いを芸術に転化することで、死に打ち克つ。

 

浅田彰草間彌生の勝利」.

 

 

 

正覚考

きのうの夜、zoom呑みの最後は鈴木との一騎打ちで、わたしは正覚講の政治について饒舌に語った。

正覚講とはわたしが参加している勉強会のことだが、鈴木が「ポリティカルな話」をふっかけてきたことを契機に、正覚講こそ政治である、ということを話した。それを踏まえて、このとき話さなかったことをここに付す。

 

 

ーー行為と状況としての正覚講、非ホモソーシャル、ウスネオイデス

 

正覚講とは共同体ではない。「集団」でもない。それは、メンバーひとりひとりが何某かの信条を共有しているということもなければ、何かを目指して集まった結果としてあるというわけでもないからである。むしろ正覚講は「場」としてある。それは「講」という語が「サークル・集団」という意味を副次なものにしていることからも明らかである。「講」とは歴史的にみて、まず「解き明かす」「考える」という〈行為〉を意味し、「法会」「集会」といった〈状況〉を指す。ゆえに「正覚講」とは「会」であり、それは活動そのもの、そして状況としての意味性を帯びる。

しかし、実のところ、これは今になってわたしが行った解釈である。正覚講を緩やかな性格を帯びた「場」とするなど、当初は考えられていないものだった。寧ろ、初期の正覚講は、堅い信条のもとに結成された、まさに共同体だったと言っていい。それが時間の流れの中で解体され、思いもよらぬ形になったわけだ。

したがって、場としての正覚講、あるいは理念なき正覚講は、メンバーの入れ替わりや具体的な活動ーー念のために言えば、正覚講の活動の半分程度は、非正覚講の人間が関与しているーーを通して産出されたものだと言える。理念を前提に活動を続けるという形態が崩壊した結果、正覚講は環境を条件に成立する、有機的で緩やかなものになったといえる。つねに運動を続けているからこそ、正覚講は言葉に回収しきれない性格をもった、何物かである。

 

正覚講が共同体でないことを論証するために、もうひとつ説明をくわえよう。エマニュエル・レヴィナスは、共同体はそれを構成する個人個人を反映すると言った。同じ信条を持った人間同士が共同体を形成した結果、その共同体そのものが1人の個人になると考えた。しかし、正覚講のメンバーが何か単一の(そして複数の)信条のもとに活動しているわけではない以上、共同体として存在していないことが論証できるーー同時にこの事実は、正覚講がホモソーシャル的でないことをも指示しているーー。

 

もうひとつ重要なのは、正覚講は大学が指定する機関ではないという事実である。正覚講が組織ーーしかも「大学」という機関ーーに傘下化されていない以上、ホモソーシャルな共同体ではないことが指摘できる。ゆえに正覚講は、浮遊する根なき植物、ウスネオイデス的であると言える。

しかし、正覚講が外部を持たないわけではない。たとえ正覚講が観念的な、実際的な、瞬間的な場であったとしても、場が想定される以上、必然的に外部が想定される。だからこそ、ここでも正覚講が政治的であると言い得るのである。それはアンリ・ルフェーヴェルが〈空間〉とよんだもの、投企が目的化したものそのものなのであり、近代建築への批判ーー疎外論理と細分化への批判ーーを体現しうるのである。

 

 

 

 

恥と誇り ――トラウマの神話化、ホモソーシャル

 

 

 

 

兼ねてよりわたしはこのブログにおいて、次の中井久夫の短い文章をたびたび引用してきた。

 

 

心的外傷には、土足で踏み込むことへの治療者側の躊躇も、自己の心的外傷の否認もあって、しばしば外傷関与の可能性を治療者の視野外に置く。しかし患者側の問題は大きい。それはまず恥と罪の意識である。またそれを内面の秘密として持ちこたえようとする誇りの意識である。さらに内面の秘密に土足で入り込まれたくない防衛感覚である。たとえば、不運に対する対処法として、すでに自然に喪の作業が内面で行なわれつつあり、その過程自体は意識していなくても、それを外部から乱されたくないという感覚があって、「放っておいてほしい」「そっとしておいてほしい」という表現をとる。

 

中井久夫「トラウマとその治療経験」『徴候・記憶・外傷』

 

 

 

難しい話ではある。誰だってトラウマに対して「恥」と「誇り」という、ある種、分裂した印象を与えているだろう。

外傷経験を、想起とか症状というかたちで反復する人間は、外傷経験に対し、しばしば次のような態度をとるのではないか。「ああいう経験をしたのは自分に落ち度があるためなのではないか」「このような経験をしているのは自分だけであって周囲にはいない」など。家庭内暴力、レイプ、虐め。かような経験の反復は、自己否定という意識を生起させる。これが恥や罪と中井久夫が名づける意識である。

他方、こういった意識は誇りという意識に結び付く。辛い経験――外傷を堅く護る意識、あるいは、辛い経験を経た「わたし」という意識である。恥、罪、誇りの共存。中井久夫が「問題」としているのは、そういう患者(とここでは言われているのでこの語を使う)の意識が、しばしば治療の困難さを助長させているということだが、しかし、それは中井久夫が医師であり、患者の治癒を共助する立場にある人間であることが前提であるのを忘れてはなるまい。

わたしは特別、言うことはない。つまり、医師ではないわたしが言うことは何もないというわけで、実のところ恥と罪と誇りの共存は致し方ないことだし、近しい人間にそれを強要させたり、諭したりするような真似はしない、という立場である。友人をはじめ、近しい人に対しては、ただ「幸せに生きてほしい」と祈るばかりである。

 

ところで、恥と誇りとを内面にたたえた者同士が連帯という関係を構築した場合、これがひとつの共同体となりえる可能性を排除することはできない。そしてこれは、いわゆる〈ホモソーシャル〉な場を構築するのに十分な機能を果たしうる。

ホモソーシャルの本質とは、「ある物語を経験したわたし」ないし「わたしと同じような経験をした人物」以外の人間に、すなわち他者――しばしば異性、マジョリティと彼らが呼ぶ者たち――に対し、「お前(たち)には理解ができないだろう」という価値を一方的に与えるような共同体である。そこでは内輪の連帯と他者の排除という論理が緩やかに働いている――したがって理解という形であれ決闘という形であれ、他者との対話を諦めない人々はホモソーシャルではないと考える――。この種のホモソーシャルな場、つまり、外傷経験が関節の機能を果たすホモソーシャルな場は、自己のトラウマ的過去の共感や理解を得られた者同士で組織される。

郷原佳以は「非性器的センシュアリティを呼び戻すために 松浦理英子論序論」(『現代思想』「フェミニズムの現在」所収)において当にこの点、「異性に理解されえないものとしての「生理」の神秘化」、「「男の生理」「女の生理」と言われる意味での生理」の神秘化を論じている。本来なら松浦論を紹介してからこれを言うべきなのだが、この論文(そして松浦理英子)はむしろ、絶対に読まれるべき価値のあるものなので敢えてしない。したがって結論をいえば、脱神秘化こそマイノリティもマジョリティも目指さなければならないものであると、郷原佳以は断じる。

 

 

異性に限らず、他人にわかるわけのない特異なものとしての自分(たち)の経験を祀り上げる神秘化こそが問題なのである。だとすれば、松浦の問題提起が現代ますますアクチュアルなものであることは明白だろう。マイノリティもマジョリティも自分(たち)の経験の神秘化を止めない限り、ホモソーシャルな共同体から抜け出すことはできない。

 

郷原佳以,「非性器的センシュアリティを呼び戻すために 松浦理英子論序論」(『現代思想』「フェミニズムの現在」所収.

 

 

しかし、個人的な実感からすると、マイノリティにしてもマジョリティにしても、ホモソーシャルな場(から)の脱却、あるいは回避というのは、かなり高度な難問だろうと思う。いわゆる悪しき「当事者性」といってもいい。

ホモソーシャルな関係から抜けたところで、結局悪しき独我論に陥る可能性は避けがたく――ホモソーシャルを抜けたところで神秘化は抜け切れていない――、他者との対話の可能性がますます希薄になりかねない。それに、ホモソーシャルな関係を構築している人間は、決してホモソーシャルな関係(にあること)に悪びれないだろう。わたしは到底やろうとは思わないが、しばしば彼らは親しい人物であろうと遠い人物であろうと、外傷経験の共感や理解を得ようとしたがる――もっとも、わたし自身、必要と思われたときに、ただ「話す」だけならすることはあるが――。そして共同体における繋がりの深いものが経験の共感や理解である以上、その部分が靭帯の機能を失ったとき、関係性そのものの破綻に繋がりうる。ホモソーシャルな関係の、後々表面化しうる厄介さといってもよいかも知れない。

個人的には恥の意識も罪の意識も、それから誇りの意識も否定はしないよ。これらの別のヴァージョンは、生きる意志や他者との対話、政治活動の希望になりうるからな。ただ、すくなくとも「祀り上げ」だけはよせよな。醜悪だしみっともないぜ。