■ph■nisis

すべて真実

楽しき昼時また午后の時

 

昨日、わが麗しき恋人が家に来た。昼を回って半刻ほどした頃に。

つい2時間前に、遊びに来ることになったのだ。

 

お昼時なので御飯をつくらせてもらった。

鶏肉と長葱を目一杯つかったお蕎麦。それからかつ丼

蕎麦の薬味は生姜と山葵。飲み物には一保堂の麦茶、酒は菊水。

それから、祖母がもう何年前から漬けつづけている古梅酒。

ソーダで割って差し出したら、「グラスが洒落てる」と言われる。

梅は家の庭に咲いた実をつかっていた。

 

 

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飯を済ませて、地元の大きな公苑にむかう。

側に中学校があるから、ジャージ姿の学生がちらほら見えた。

帰宅してからは夕方まで、お菓子を摘んだり茶を啜ったりして時を過ごした。

妹が帰宅すると挨拶して、彼女はわれわれに菓子をくれた。

もっとも、恋人は食べ残していた。厭なのではなく、忘れていたようだ。

 

彼女は僕に貸していた漫画数冊を手に帰って行った。

駅まで送って、その日はわかれた。

 

 

聖母の祈り ーーテンプル騎士団の「Salve Regina」

 前回に続き、今回は「Salve Regina」を訳してみた。

「Salve Regina」は聖母への祈りの歌であり、よく知られた二種類のグレゴリオ聖歌があるが、それとは別の「異本」ならぬ「異曲」をマルセル・ペレス / アンサンブル・オルガヌム Marcel Pérès / Ensemble Organum が今から30〜40年ほど前に発見・録音している。

これがまたかなり「曰く付き」の曲で面白く、ひょっとしたらアンサンブル・オルガヌムの録音のなかで1番よく知られたものかも知れない。まあ解説めいたものは記事の最後の方に載せるとして、とりあえず曲と歌詞を付す。訳はラテン語原文と英訳を頼りにした。前回(前記事)以上に、今回は読み易さと意訳の色を濃くさせているので、原文と訳文との間で、文の位置関係など色々差異がある。また、三連目からは韻文なのだが、到底自分の手に負えるはずもないので考慮していない。 

 

前記事の「Kyrie : Orbis factor」同様、この曲も極めて切実な雰囲気に満ちている。音楽面もさることながら、詩の痛切さも印象的である。とくに前半「Ad te clamamus exules filii Eve. Ad te suspiramus gementes et flentes in hac lacrimarum valle.」など凄まじい感じさえする――実はぼくもちゃんと歌詞を調べたり読んだりしたのが今回が初めてのことで、なかなか驚いたものである――。

 

 


Le Chant des Templiers: VIII. Antiphona "Salve Regina"

 

 

Salve regina misericordiae

Vita dulcedo et spes nostra salve.

Ad te clamamus exules filii Eve.

Ad te suspiramus gementes et flentes in

hac lacrimarum valle.

 

お聴きください,女王よ,憐みください.

私たちの命であり,恩寵であり,また希望であらせられる御方よ,お聴きください.

私たち追放されたエヴァの子たちは,

この噎びを御身の許へと響かせましょう.

嘆き,また悲哀に泣いている私たちは,ここ盡きることのない涙の谷にて,御身に向けて吐息をついているのです.

 

 

Eia ergo advocata nostra, illos tuos

misericordes oculos ad nos convente

Et ihesum benedictum fructus ventris tui

nobis post hoc exilium ostende.

O clemens, o pia, o dulcis Maria.

 

ああ,どうぞそれ故に,

私たちをお守りくださる方,

御身のその憐みに溢れる眼差しを,

いままた私たちに注いでください.

そうして,私たちに与えられた追放の罪が贖われるころ,

御身の愛でたき肚の実である救世主の姿をお示しください.

ああ,心優しく虔しみ深き,甘美なる乙女,マリアよ.

 

 

Alpha et omega misit de

superis gloriosum solamen miseris,

cum Gabriel a summa gerarchia

paranimphus dicit in armonia :

Ave Vingo Maria

O clemens, o pia ,o dulcis Maria.

 

主は天より遣わされました,

苦しみのうちに栄光の慰めをもたらすために,

ラニンフとして訪れた誉れ高き天使ガブリエルは,

和やかに宣言をいたしました.

めでたし乙女マリア,

ああ,心優しく虔しみ深き,甘美なる乙女,マリアよ.

 

 

O pastores pro Deo surgite,

quid vidistis de Christo dicite.

Reges Tharsis de stella

visione sint testes in apparitione :

Ave Virgo Maria.

O clemens, o pia ,o dulcis Maria

 

羊飼いたちよ,神の御前に立ち上がりなさい,

あなたが救世主を目にしたことを語らいなさい,

タルシシュの王たちに証言をさせるのです,

彼らが星の出現を目にしたことを.

めでたし乙女マリア,

ああ,心優しく虔しみ深き,甘美なる乙女,マリアよ.

 

 

Fons humilis aquarum puteus,

rosa mundi, splendor sydereus,

amigdalus Aaron fructuosa,

precantibus esto lux gloriosa :

Ave Virgo Maria.

 

つつましく,また豊潤なる泉,

水にして,また世界の薔薇,

アーロンの芽吹く杖,

御身に祷る者にとっての栄光なる光となりますように.

めでたし乙女マリア,

 

 

Salve regina misericordiae

Vita dulcedo et spes nostra salve.

Ad te clamamus exules filii Eve.

Ad te suspiramus gementes et flentes in

hac lacrimarum valle.

 

お聴きください,女王よ,憐みください.

私たちの命であり,恩寵であり,また希望であらせられる御方よ,お聴きください.

私たち追放されたエヴァの子たちは,この噎びを御身の許へと響かせましょう.

嘆き,また悲哀に泣いている私たちは,ここ盡きることのない涙の谷にて,御身に向けて吐息をついているのです.

 

 

Eia ergo advocata nostra, illos tuos

misericordes oculos ad nos convente

Et ihesum benedictum fructus ventris tui

nobis post hoc exilium ostende.

O clemens, o pia, o dulcis Maria.

 

ああ,どうぞそれ故に,

私たちをお守りくださる方,

御身のその憐みに溢れる眼差しを,

いままた私たちに注いでください.

そうして,私たちに与えられた追放の罪が咎められるころ,

御身の愛でたき肚の実である救世主の姿をお示しください.

ああ,心優しく虔しみ深き,甘美なる乙女,マリアよ.

 

Salve Regina

Chantilly, Musee conde ms. XVIII b.12』「Manuscrit du Saint-Sépulcre de Jérusalem」.

 

 

 

―――――――――――――――

以下、解説。

この「Salve Regina」は、シャンティイのコンデ美術館が所蔵している写本――『Chantilly, Musee conde ms. XVIII b.12』「Manuscrit du Saint-Sépulcre de Jérusalem」に所収されている曲だという。マルセル・ペレスの解説によれば、19世紀中葉にオマール侯爵が買収したらしい。

 

 

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Manuscrit du Saint-Sépulcre de Jérusalem

 

Manuscrit du Saint-Sépulcre de Jérusalem」を直訳すれば「エルサレムの聖墳墓写本」となるが、この名前が示すように、エルサレム聖墳墓教会から出土されたものらしい。典礼作法書なので、この写本は聖墳墓教会で活動していた信者たちが使用していたものと推察されるのだが、聖墳墓教会に関係のある人間といえば、テンプル騎士団が真っ先に挙がるだろう。

したがって件の「Salve Regina」はテンプル騎士団が編み出した、彼らのための曲であるということができる。あのテンプル騎士団が礼拝をおこなっていたとはなかなかイメージしがたいが、マルセル・ペレスによれば騎士たちは典礼に熱心だったらしい。もっとも、活動的だった彼らはミサに出席できないこともあったので、それを補填するために1日の間に「Pater Noster」を数回称えるなどの処置をおこなったりもしたらしい。とくに個人的に面白かったのは次の話。第5回十字軍におけるダミエッタ包囲戦(1217~1221)で寝込みを襲おうと考えたイスラム教徒は、騎士団に対して夜に襲撃をかましたが、騎士団たちは夜の典礼のために起きていたので対抗できたらしい。

 

During the siege ofDamietta in the Fifth Crusade, a night raid by the Muslims was foiled because the Templars were celebrating the Office ofMatins in the tent that served as the Order's chapel. Thus they were able immediately to repulse the attack.

 

Marcel Pérès,Charles Johnston(Trans).

Marcel Pérès / Ensemble Organum「Le Chant Des Templiers」ブックレット.

 

 

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ダミエッタ包囲戦

 

ところで、先に掲げた写本の写真からも確認できるように、楽譜の記譜法はフランコ様式に依拠しているようである。フランコ記譜法はアルス・アンティカの記譜法なので、サン・マルシャル楽派やノートルダム楽派の影響を受けたものだと考えることができるだろう。マルセル・ペレスによれば、典礼の指示はパリ教区の司祭アンセルムに委ねられていたらしい。ゆえに、パリの音楽家たちの理論が採用されているのは、典礼書自体はフランスで作られたからなのだ。

「Salve Regina」は先述したようにグレゴリオ聖歌にも存在するアンティフォナで、詩に違いがある。グレゴリオ聖歌の「Salve Regina」の場合、(テンプル騎士団の「Salve Regina」の歌詞で説明するなら)最初の二連のみが全文になる。つまり「Salve Regina ~ o dulcis Maria」のみで、「Alpha et Omega」以降は、完全にテンプル騎士団独自の「Salve Regina」となる。

下にグレゴリオ聖歌版「Salve Regina」のうち一つを貼る。第1旋法の聖歌で、テンプル騎士団の「Salve Regina」がこれを踏襲しているのは明白である。なお、下の動画の指揮者はジョン・ラター。

 

 


Salve Regina - Gregorian chant, John Rutter, The Cambridge Singers

 

 

オリジナルの詩はヘルマヌス・コントラクトゥスの作によるものと考えられており、テンプル騎士団の「Salve Regina」の作者は不明である。ひょっとしたらアンセルムかも知れないが、いずれにしても13~14世紀のパリで活躍していた宗教者・音楽家の手によるのだろう。

マルセル・ペレスによれば、騎士たちは就寝の前に「Salve Regina」を唱えていたらしい。 「受肉の神秘を讃えた歌」と紹介されているように、聖母の讃歌という意味だけでなく、受胎の祝福や豊穣の讃嘆といった宗教的意味合いが付加されているのは面白い。

 

「Salve Regina」はジョスカンがのちに素晴らしい編曲を施しているし、バッハやペルゴレージもこの詩に曲をつけている。アルヴァ・ペルトも官能的な作品をつくっていて、いかに時代を超えて愛されているかが窺える。

 

 

曲や詩に関する面白いことはまだまだあるのだが、長くなったので別記事にする。

 

 

 

 

 

修道女たちのうた ――「Kyrie: Orbis factor」

 

仏教音楽の記事は前に書いたが(↓)、キリスト教音楽を記事にするのは初めてかも知れない。

 

pas-toute.hatenablog.com

 

 


Graduel d'Aliénor de Bretagne / Gradual of Eleanor of Brittany - Kyrie tropé "orbis factor"

 

 

 

 

 

わが愛聴の聖歌「Kyrie:Orbis factor」(エレノア写本    13C~14C)。

優しいポリフォニーが味わい深く、随所に多用されるメリスマがあだかも民謡のような雰囲気を与える――トルミスの合唱曲を想起する――。

「Kyrie(憐みの礼法)」なだけに主の慈悲を一心に乞う。どこか物哀しい旋律も相俟って、切実な雰囲気に充ちている。屈指の名曲――名演奏だ。ああ、なんと官能的な女たちの声......!――低声を制御する男性も素晴らしい――。

 

以下、動画と歌詞の原文、それから拙訳を付す。原文と英訳を参考にしている。

もっとも、ラテン語は言葉通り僅かに齧った程度だし、教会の知識には極めて疎い。英訳に誤りも見受けられた。あくまで趣味の次元の出来上がりである。

 

 

Orbis factor rex aeterne eleison

Kyrie eleison
世界の創造主,永遠の王よ,憐みください.
主よ,憐みください
 
Pietatis fons immense eleison
Kyrie eleison
慈悲深き大いなる王よ,憐みください
主よ,憐みください
 
Noxas omnes nostras pelle eleison
Kyrie eleison
わたしたちのすべての罪を除き,憐みください
主よ,憐みください
 
Christe qui lux es mundi dator vitae eleison
Christe eleison
救世主よ,世界の光,生命を与えてくださる者よ,憐みください
救世主よ,憐みください
 
Arte laesos daemonis intuere eleison
Christe eleison
悪魔の仕業によってなされた瑕を見守り,憐みください
救世主よ,憐みください
 
Confirmance te credentes coservansque eleison
Christe eleison
御身を信じ,護る者たちの力を高め,憐みください
救世主よ,憐みください
 
 
Deum scimus unum atque trinum esse, eleison
Kyrie eleison
我々は知っております,御身が光であらせられ,また御身の父が光であることを,憐みください
主よ,憐みください
 
Patrem tuum teque flamen utrorumque, eleison
Kyrie eleison
御身のひとつであり,また三位であらせられる,憐みください
主よ,憐みください
 
Clemens nobis adsis paraclite ut vivamus in te eleison
Kyrie eleison
我々の傍らにおられる御身の,その慈しみのなかで,優しき主よ,
我々がそこに生きることの叶うように,憐みください
主よ,憐みください
 
 
 
Kyrie:Orbis factor

 

 

 

――――――――――――――

さて、以下解説。

 

フランス北西部。ブルターニュ地方に構えるフォントヴロー修道院には『エレノア写本』という華麗な写本が伝わっている。「エレノア」という名は、かつてここの修道院長を務めたEleanor of Brittany (1275 – 16 May 1342) に由来している。

エレノア写本は装飾的な図像が印象的で、この時代の様式をたたえた聖歌が数多く収められたコデックスとして知られるーーつい最近まで全頁がオンライン上で公開されていたのだけれど、今見たら無くなっていたーー。(2021/02/13追記:    別の場所にあった

http://www.enluminures.culture.fr/public/mistral/enlumine_fr?ACTION=RETROUVER_TITLE&FIELD_4=TITR&VALUE_4=GRADUEL%20A%20L%20USAGE%20DE%20L%20ABBAYE%20NOTRE%2dDAME%20DE%20FONTEVRAULT&GRP=0&SPEC=9&SYN=1&IMLY=&MAX1=1&MAX2=100&MAX3=100&REQ=%28%28GRADUEL%20A%20L%20USAGE%20DE%20L%20ABBAYE%20NOTRE%2dDAME%20DE%20FONTEVRAULT%29%20%3aTITR%20%29&DOM=All&USRNAME=nobody&USRPWD=4%24%2534P) 

 

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フォントヴロー修道院

 

 

フランスを拠点に活躍するマルセル・ペレス    / アンサンブル・オルガヌム――Marcel Pérès / Ensemble Organum――。は、随分前にこの写本の音楽を録音しているのだが、これが実に素晴らしい。わが愛聴の名盤の一枚だ。最初に貼った動画の演奏も、彼らのものである。

 

アンサンブル・オルガヌムといえば、いわゆる今日正統とされるような聖歌の歌唱法が確立されるより以前の唱法――あるいは、非カトリック的と言った方が良いかもしれない――を駆使した演奏で知られる団体で、かなり賛否両論の多い演奏集団ではある。この録音でもパラフォニスタ、そしてイソクラテマといったビザンティン様式に顕著な唱法を導入している。しかし、率いるマルセル・ペレスはこの分野の世界的権威だし、自らの研究に基づいたアプローチを執るという態度は、それだけに堅固だ。

 

この録音集の評価は(世界的に)高く、 とくに「Kyrie: Orbis factor」は人気曲のようだ。ぼくもその一人なわけだが、曲のエモさとは別に、興味をそそられる曲だ。というのも、「Orbis factor」とは、本来有名なグレゴリオ聖歌のミサ曲の名前なのだが、『エレノア写本』に収められた――つまりアンサンブル・オルガヌムが録音した――「Orbis factor」は、それとは異なる修道院独自の「Orbis factor」なのだ。いわば「異本」のようなものだ。もっとも「Orbis factor」というミサ曲集を作成したわけではないようで、あくまでグレゴリオ聖歌のミサ「Orbis factor」の「Kyrie」だけを独自に編曲したようだ。

下はいわゆる普通のグレゴリオ聖歌版ミサ「Orbis factor」の「Kyrie」。

 

 


Kyrie XI: Missa Orbis Factor

 

 

このように、旋律はグレゴリオ聖歌のミサ「Orbis factor」の「Kyrie」そのもので、大きな違いといえば詞章が多い点だろう。

それだけになんと唱えられているのか気になり、和訳も無いので自分で訳してみようと思ったわけだ。随分乱暴な話だし、終盤に近付いて、たまたま教会関係者の人間が翻訳をネットにあげていたのを知った。幸い殆ど内容は間違っていなかったので安心したが、唯一、最後だけ、その方は「われわれに恵み深くあられる汝は御霊と共に臨在され、かくして我々は汝の中に生かされている」という訳され方をしていて戸惑ったが、ここは英訳を参考にした。

明日あたりから、別の『エレノア写本』の曲を翻訳しようかな。好きな曲がいっぱいあるのだよ。

 

 

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エレノア写本の挿絵

 

 もう一つ、今日中に別の聖歌を記事にするつもりでいる。

 

「ところでなぜ安藤忠雄は人気があるんですか」

 

 

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茨木春日丘教会「光の教会

 

 

 

そうそう。『批評空間』「「日本精神分析」再論」(第3期第3号 2002,4月1日)の対論のなかで安藤忠雄のことをみんなでしゃっべてるのが面白くてさ、バイト中に読んでたんだけど思わず笑っちゃった。

きっかけは柄谷の次の言葉――表題にもした――「ところでなぜ安藤忠雄は人気があるんですか」。

 

 

岡崎

まさしく和様だからでしよう。ザッハリッヒカイトがいかに和様化に結びつくかという典型例ですね。坂口安吾的方法の悪い例と言ってもいいかもしれない。住吉の長屋というのがあって、これは長屋のコンテクストを生かしているように見えるけれども、同時にザッハリッヒに破壊してただのコンクリートの箱にしてしまった。そういう両義性があって、あれがいちばん面白い。長屋のコンテクストに埋め込んでしまえば、どんなものでも長屋に見えるじゃないかと言っているように感じられるけれど、他方ではそれが文字通り本当に日本的な構成の原型として見えてもくる。実際には、その後、後者の方に展開したんですね。

 

磯崎

大阪の庶民的な環境で、それこそ冬でもトイレに行くには外に行けというような、昔からの長屋的なものを、近代的なコンフォートの基準を外して持ち込んだところがあって、 一見ストイックに見える。そこが当った理由でしょう。

 

 

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住吉の長屋

 

 

柄谷

しかし、庶民的と言っても、実際は金持ちしか住めないんじゃないの?


岡崎

いまではまさに行為的空間になっていて、直島のベネッセハウスなんか、個人用のケーブル・カーがあったり、夕日が見える部屋があったり、心躍らせる迷路のような導線でできている。

 

浅田

あの美術館の第三期の計画では、完全に地下にして建築の外形は消す、そして、光の空間を経巡っていく導線だけがある、と。

 

 

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ベネッセハウス

 

 

磯崎

とにかく、建築というジャンルを超えてポピュラリティがある。司馬遼太郎みたいな感じですね。


柄谷

実際、司馬遼太郎記念館も作ったし(笑)。

 

岡崎

しかし、その逆の建築だったら誰もついてこないですね。

浅田

だから、そこに磯崎さんの困難がある(笑)。

 

 

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司馬遼太郎記念館

 

 

岡崎

けれど磯崎さんは同時に伝統をいちばん理解しているわけで。ただ、日本で構築ということをデミウルゴス的にやると、平田篤胤のように見られる危険は避けられないと思うんですね。パウンドもそういうところがあるけれど、パウンドはそれでも中国を持ってくる。そこで外の中国ではなく、内なる外部を発見しようと(捏造しようと)すれば縄文のような古代語になる。 いずれにせよ、ゼロからデミウルゴス的に構築するやり方は、時にこう見えるだろうと思うんです。


磯崎

僕がアナクロニズムだというのは、そういう意味でもありますね。

 

 

 

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つくばセンタービル

 

 

付記

けど、ぼくは実は丹下も好き。

 

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広島平和記念資料館本館

 

 

 

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カテドラル