■ph■nisis

すべて真実

海の魔術

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波うつきわに立つ。僅かに水に浸けた足の首に波は寄り、肌を打っては四方からまつわりつく。そうして引き波になって去っていく。

遠くを眺めやる眼には、つねにむこうから押し寄せてくる白波が映りこんでいた。波は淡い粒を宙へと散らし、厚い風と共に迫ってくる。空の色には、少しづつ夜の予感が滲みはじめていた。

このとき、視覚の印象と触覚の印象との間で矛盾が生じている。身の内で、我が身を支える体幹は、たしかに海へ引きずられているのに、視覚の情報においてはむしろ背面にむかって力強く押し立てられているのだから。

それは吐き気を誘うような、信じがたいほどの強度をもった刺戟である。身体上の縦横の軸が乱されるのだから。こういってよければ、我が身を場とし、ひとつのイリュージョンのような形態をもって顕れているようなのだ。

 

 

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そんなことをつらつらと帰りの電車のなかで思い出していたら、ふと、波の音が右の方から聴こえてきた。そうして、自分が経験していたあの先ほどの情況の、風景が生々しく想起された。おそらく、波の音など聴こえない。聴こえるわけがないのだが、たしかに今も聴こえている。走行する小田急線の轟音の内側で、無数の砂と水とが擦れ合い、弾かせながら地上を走る波の色は空を反映している。群青と橙と、漆黒の墨色とがあたたかい連関をみせている。鳶の翅のはたたく音が海面に響いていた。

 

そこで気がつかれたのだが、鬩ぎ合う感覚を纏めあげる(諸感覚を平面化させるといってもいいし、統合させるといってもいい。もっとも平易にいえば、その状態を恒常化かつ持続化たらしめている)要因は、おそらく、この音にこそある。色めきだつ諸感官の機能を、波の音が制御する。それはあだかも、千万億の砂の騒めきを、平らけくせんと流れる波そのものの、運動のイメージと合一するような気もする。

 

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