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すべて真実

美について

 

               

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美とは、快と無縁な何かである。眼福とか美味とか、そういう経験とは一切関わり合いをもたない。むしろ、美は恐怖と連関している。なぜなら、美の享受をする我が身の周りには、つねに際限もなければ底も知れれぬ闇が広がっているからだ。むしろ、美は経験としてあるのではなく、場として出現するような何ものかである。だから、厳密にいえば、美とはある特殊な状況をさえ説明する語である。

こういってよければ、美は「死」と隣り合わせにある。だが、即時に言わねばなるまいが、かような言説が既に古めかしいことを、手垢まみれの、自明でさえあるようなはなしであることをわたしは了解してはいる。しかしながら、私見によれば、きょう人が「美しい」と言うとき、既にそのような価値は凋落している気がしてならないのは気のせいだろうか。今日的な用法では、殆ど「美」は消費に人びとを駆り立てる道具に成り下がっているようだ。つまり、ひとが「美しい」というとき、それはたんに刹那的に快を催させたり、たんに無に帰するような情動的作用が及んだりしたときに発せられる、曖昧な言葉であるように思われる。

 

もっとも、わたしの目的は今日に生きる瞽(めしい)の人びとを嘲ることではない。そんなつもりも時間もない。たんに、わたしの美を内省したいだけなのだ。

さて、不思議なことに、美を美として認識するとき(「場」として認識するとき)、それはつねに過去形で語られる。つまり、あれは美であったのだ、と後になって知られるのだ。いままさに、自分は美という場において何かを享受しているのだ、という経験ではない。後々思い返してみたとき、あのとき自分は美に包囲されていたのだ、と識得するのである。

忘れがたい経験。数年前に美術館で観たサンティの聖母子像。10分だったかも知れないし、1時間だったかも知れない。もっと長かったかも知れないし、あるいはもっと短かったかも知れない。わたしはその絵の前で立ち尽くしていた。やや高い位置から注がれる聖母の眼差しに吸われていた。

そこでなにを感じていたか、なにを観ていて、なにを考えていたかなど到底憶えていない。そしてまた、わたしの記憶によれば、わたしは確かに、聖母の眼からわたし自身を眺めていた。というのも、わたしは人びとの雑踏を背後に、また無数の観客のまとまりのなかから静謐な昂奮をもってこちらを見上げるわたしの様子を、まざまざと憶えているからだ。つまり、わたしは一方で聖母に眼を向けられている記憶を有していて、他方で、聖母の眼をもってわたしに眼を注いでいる記憶をもっているのだ。そこでは、あらゆる思惟も情念も消失していて、追憶に励んだところでただただ断片的な、奇妙な情況であったことしか想い出されない。

 

この経験を「美」だったかも知れないと疑ったのは、それから2年を経てのことである。なぜわたしはそうしたのかわからないのだが、この時のことをつらつらと思い返しているうち、実感としてなにか赦されたような解放感を味わっていたのではないか、という疑念が生じたのである。それは決して宗教的な次元のはなしではない。わたしの生活上の倫理観や価値観を覆しはしなかったのだから。したがって、もしあの奇妙な経験を命名しようとするならば、あれこそ、しばしば美と呼ばれるものなのではないか、と疑われなかった。だが、この経験自体が神秘的―宗教的であると言われるのであれば、否定するまでの自信を持ち合わせてはいない。

 

あのとき、わたしはたしかに自らの位置を失っていた。いや、正確には、失われていたように思われつつも、別のわたしとして生きていた。事実、その映像を想起することができるのだから。そして、ふと気をやると、無限を思わせるような闇があたりに広がっている。その意味で、美は死を自らの傍らに横たえているのだ。