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すべて真実

ショスタコーヴィチの11番

 

メイソン・カリーの『天才たちの日課』の伝えるところによれば、サッカーが大好きなショスタコーヴィチはよく仲間内でサッカーを楽しんでいたらしい。しかし、しばしば試合中だろうとなんであろうと、急にその場から姿を消すことがあったらしい。友人たちの前に現れるのは何日も経ってからで、その間は作曲に勤しんでいたらしい。

とはいえ、ショスタコーヴィチの作曲方法はとても「勤しむ」というような言葉では飾れぬような営みだったらしい。ショスタコーヴィチは頭の中だけで作品をつくりあげ――ショスタコーヴィチの家族いわく、作曲に際してピアノを使うことは殆どなかったらしい――、脳内で完成されたその音を楽譜に書きつけていたという。ショスタコーヴィチ自身は、そのような自分の作曲スタイルに否定的だったのも興味深い。作曲とは厳粛なものだから性急にやってはいけないという信念が、作曲家の内側にあったらしいのだ。

 

間宮芳生ショスタコーヴィチと面会をしている。面会の内容は古い雑誌記事になっていて、わたしは国立国会図書館で読んだ。間宮もショスタコーヴィチも、共にシチェドリンを評価していた――記事では「シェドリン」という表記だったが、これはおそらくオディロン・シチェドリンのことだろう――。また、間宮芳生ソビエト連邦内でバルトークストラヴィンスキーがどのように評価されているかをショスタコーヴィチに訊ねていた。いかにも間宮芳生らしい。らしすぎる話ではある。間宮芳生ショスタコーヴィチが肩を並べている写真をみたときには、ひっそりと感動をした。

 

ショスタコーヴィチ交響曲をはじめて聴いたのは東京藝大の学生オケによる8番だった。高関健が指揮を振っていた。コントラバス奏者が知り合いで招待をしてもらい、母と聴いた。高校2年生のときのことだ。

そのつぎはいまから2年前にNHKホールで開催されたN響の定演。11番「1905年」だった。指揮は井上道義。指定の編成より大きくとっていたのが印象的だった。これは恋人と聴きに行った。なかなか満足をしてくれたようで良かった。先立って演奏されたのはフィリップ・グラスの『ティンパニ協奏曲』。グラスをライヴで聴いたのも初めてだった。たしかフィリップ・グラスは妹の方が先に聴いている。

 

ショスタコーヴィチ交響曲でよく聴くのは8、9、11。

ただ、特に11番は最近やたらと録音を入手している。

発端は年始にディスクユニオンゲンナジー・ロジェストヴェンスキー    /    モスクワ放送交響楽団の録音が売っているのを発見し、即購入したことだった。これが珍盤として世に評価されているのは有名だし、ロジェストヴェンスキーの仕事を俯瞰する上でもおそらく重要な1枚であると思われる。しかも実物を手にしたのが今年の1月9日だったので、一層特別な気持ちになった――本作は1905年の1月9日に起きた「血の日曜日事件」が重要なモティーフになっている――。

ロジェストヴェンスキーの録音を「個性的」だとは思わない――ストコフスキーも「個性的」だとは思わない――が、それでも好きな録音だ。劇判音楽的なこの作品の雰囲気によく合っていると思う。打楽器の仕事が勝手に増やされているのも面白いし、鐘の導入以降の律動的な演奏はなかなか味わい深い。

 

 

ところで、11番にはピアノ編曲版が存在する。ショスタコーヴィチ自身による作曲らしい。記憶が正しければ、ソヴィエト時代では作品を初演する前に、まず作曲家協議会で譜面の確認とピアノ編曲版による試演が行われる風習があったらしい。公前で演奏されても問題ないか検討されていたという――じゃあ初期の交響曲や8、9、10とかはどうなってたんだという疑問も沸くのだが、詳細は不明――。

おそらく11番も同じような経緯で作曲されたものなのだろうが、「鐘」の音が全く無い。あらゆる意味でいわくつきな録音で面白い。

 

 

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付記

ロジェストヴェンスキー指揮。第2楽章。後半に虐殺の場面。

全楽章あげられていたはずが、最終楽章のみ消されている模様。誰もしないなら投稿してやろうかな。

 


Shostakovich: Symphony #11 in G Minor, Op. 103 - II Allegro "The 9th of January"