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すべて真実

2021-01-01から1ヶ月間の記事一覧

ボクはそれでもなお生きている

「ばかな人間を利口にすること以外なら、精神分析は何でもできる」 《La psychanalyse peut tout sauf rendre intelligent quelqu'un d'idiot.》 ラカン 転移は精神分析の場を成立させる現象であるとは言ったが、これは必ずしも正しいわけではない。精神病者…

ゴーギャンの冬

これは告白なんだけど、オイラ、ゴーギャンは冬の方が好きなんだよね。 この画家にとって南国とは、皮肉っぽく言えば逃地、ユートピア、そしてオリエンタリズムだろう。その反面、冬の描写はそのままの意味で「風景画」であるのが良いのかも知れない。 『Wik…

eromenos

eromenos(愛される者)が、その手を延ばして「愛を返す」ことにより、erastes(愛する者)へと変わる崇高な瞬間がここにある。この瞬間は、愛の「奇跡」、「〈現実界〉からの答え」を表している。このことから、主体自身は「〈現実界からの答え〉」の状態に…

疑似宗教的モラリズム

擬似宗教的なモラリズムは、一種の麻痺――すべての「他者」に対して優しくありたいと願い、「他者」を傷つけることを恐れて積極的なことは何もできなくなるという、最近よくあるポリティカリー・コレクトな態度を招きよせるだけではないか。そのような脱―政治…

おい、おかしいでしょう

件の番組をみて怖さを憶えたってひとが近くにいた。真っ当だと思った。 そのひと曰く、主人公の夫婦ほど度重なる苦難の対処に協力してくれるような隣人に囲まれた人間など現実には殆どおらず(2人の出会い自体がそうなんだけど)、この点においてこの話はま…

「私は私の知らないことを知っている者を愛するのです」

過去を語ることは可能なのだろうか。 フロイトは当初、病の起源的経験を患者自身(ここでは分析主体という語を意図的に避けることとする)が気がつき、それを語ることによって心的な症状は除去されると考えていた。かつて共に臨床の場に立ったブロイアーの発…

一人称について

「一人称の使い分け方にルールはあるのか」という質問を受けた。 そもそも一人称が基本的に使い分けられないものであるという前提を疑ってみようや。 ボクでもわたしでも俺でもあたしでもいいのだよ。杉山でもよい。だいたいみんな分裂してるんだからさ。も…

自分が愚かで、ダメな人間になったような気がする

『ミニマ・モラリア』の一節。テオドール・アドルノの言葉。そして、世間を賑わせている(とボクは想像するのだが)、昨晩に新春特番として放映された件のドラマを流し観していた、ボクの感想である。 なぜだろうな。なんか大事なものが随所から抜け落ちてる…

亡き友についての

吉増剛造さんとかかわりをもたせていただくようになったのは、今から2年前のことである、詩人の個展でお会いしたのを契機に、折々の場所でお世話になっている。 展示や講演、上演の場にしがない聴講者としてお伺いさせてもらったこともあるが、お手紙のお返…

百済観音のこと

いやあ、「美について」なんて厳しいタイトルの記事を書いたのには、べつに深い意味はないのだよ。ただ、さきだって書こうと思った動機をちょっと忘れてたな。 昨年、90を超える祖母と、中学の妹とを連れて滋賀京都奈良の三県をまわった。この遠出の少し前、…

『古代の海の歌』 

Muiste Mere Laulud (Songs of the Ancient Sea) ハミングの表現力を知った一作。 高校時代以来、夜にしか聴かない曲。

海の魔術

波うつきわに立つ。僅かに水に浸けた足の首に波は寄り、肌を打っては四方からまつわりつく。そうして引き波になって去っていく。 遠くを眺めやる眼には、つねにむこうから押し寄せてくる白波が映りこんでいた。波は淡い粒を宙へと散らし、厚い風と共に迫って…