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すべて真実

痛ましい愛について

我が麗しき恋人がジツニツマラナク、またクダラナイ悩みを抱いているようだ。あまり頓珍漢なことを考えてちゃあ、健康に良くないぜ。 ボクのタチなんだと思うよ。なにかヨセツケやすい。そしてこちら側ものりやすい。その対象に解剖学的な性の差異はないよう…

語る死す

あんまり大事なことを人は話すべきじゃあないよ。この場合、「大事なこと」とはトラウマである。 トラウマは心の深い瑕だ。深い瑕だけれど、それだけに自分にとって親密なものだ。優しさだって憶えるだろう。愛しささえ。 ラカンの最終期の思想は主体と症状…

補遺

前々回の記事の補遺。 昨晩、その日に買った『フロイト著作集』の「第6巻 自我論・不安本能論」を捲っていたんだが、こんな言葉を見つけた。 父親または両親の権威が自我の中に取り入れられ、そこで超自我の核となる。超自我は、父親の厳しさをそっくり受け…

やったあ

きのう、お馴染みの古本屋さんと契約して、月1で『フロイト著作集』を1冊ずつ購入してもらえる運びになった。嬉しみ。既にとあるシリーズ本を月1冊ずつ買う契約を結んでいたのだが、さらに請け負っていただいたかたちだ。 さっそく2冊を入手。このほか、ガエ…

「それは最初に与えられるものをすでに支配している」 ――家系と病

Joseph-Hugues Fabisch『Oedipus at Colonus』 無意識は、私の記憶の中の空白によって記されたところの、あるいは嘘によって埋められたところの一章なのである。 すなわちそれは、検閲された章である。 ラカン / 竹内迪也「精神分析における言葉と言語活動の…

ボクはそれでもなお生きている

「ばかな人間を利口にすること以外なら、精神分析は何でもできる」 《La psychanalyse peut tout sauf rendre intelligent quelqu'un d'idiot.》 ラカン 転移は精神分析の場を成立させる現象であるとは言ったが、これは必ずしも正しいわけではない。精神病者…

ゴーギャンの冬

これは告白なんだけど、オイラ、ゴーギャンは冬の方が好きなんだよね。 この画家にとって南国とは、皮肉っぽく言えば逃地、ユートピア、そしてオリエンタリズムだろう。その反面、冬の描写はそのままの意味で「風景画」であるのが良いのかも知れない。 『Wik…

eromenos

eromenos(愛される者)が、その手を延ばして「愛を返す」ことにより、erastes(愛する者)へと変わる崇高な瞬間がここにある。この瞬間は、愛の「奇跡」、「〈現実界〉からの答え」を表している。このことから、主体自身は「〈現実界からの答え〉」の状態に…

疑似宗教的モラリズム

擬似宗教的なモラリズムは、一種の麻痺――すべての「他者」に対して優しくありたいと願い、「他者」を傷つけることを恐れて積極的なことは何もできなくなるという、最近よくあるポリティカリー・コレクトな態度を招きよせるだけではないか。そのような脱―政治…

おい、おかしいでしょう

件の番組をみて怖さを憶えたってひとが近くにいた。真っ当だと思った。 そのひと曰く、主人公の夫婦ほど度重なる苦難の対処に協力してくれるような隣人に囲まれた人間など現実には殆どおらず(2人の出会い自体がそうなんだけど)、この点においてこの話はま…

「私は私の知らないことを知っている者を愛するのです」

過去を語ることは可能なのだろうか。 フロイトは当初、病の起源的経験を患者自身(ここでは分析主体という語を意図的に避けることとする)が気がつき、それを語ることによって心的な症状は除去されると考えていた。かつて共に臨床の場に立ったブロイアーの発…

一人称について

「一人称の使い分け方にルールはあるのか」という質問を受けた。 そもそも一人称が基本的に使い分けられないものであるという前提を疑ってみようや。 ボクでもわたしでも俺でもあたしでもいいのだよ。杉山でもよい。だいたいみんな分裂してるんだからさ。も…

自分が愚かで、ダメな人間になったような気がする

『ミニマ・モラリア』の一節。テオドール・アドルノの言葉。そして、世間を賑わせている(とボクは想像するのだが)、昨晩に新春特番として放映された件のドラマを流し観していた、ボクの感想である。 なぜだろうな。なんか大事なものが随所から抜け落ちてる…

亡き友についての

吉増剛造さんとかかわりをもたせていただくようになったのは、今から2年前のことである、詩人の個展でお会いしたのを契機に、折々の場所でお世話になっている。 展示や講演、上演の場にしがない聴講者としてお伺いさせてもらったこともあるが、お手紙のお返…

百済観音のこと

いやあ、「美について」なんて厳しいタイトルの記事を書いたのには、べつに深い意味はないのだよ。ただ、さきだって書こうと思った動機をちょっと忘れてたな。 昨年、90を超える祖母と、中学の妹とを連れて滋賀京都奈良の三県をまわった。この遠出の少し前、…

『古代の海の歌』 

Muiste Mere Laulud (Songs of the Ancient Sea) ハミングの表現力を知った一作。 高校時代以来、夜にしか聴かない曲。

海の魔術

波うつきわに立つ。僅かに水に浸けた足の首に波は寄り、肌を打っては四方からまつわりつく。そうして引き波になって去っていく。 遠くを眺めやる眼には、つねにむこうから押し寄せてくる白波が映りこんでいた。波は淡い粒を宙へと散らし、厚い風と共に迫って…

対位法との出会い

子供のとき(十二歳か十三歳だった)彼ははじめて対位法と出会った。バッハではなく、モーツァルトのハ長調の〈フーガ〉K三九四である。 ミシェル・シュネーデル『グレン・グールド 孤独のアリア』 ボクが最初に対位法に出会ったのは何時だろうな。まあグー…

美について

ラカンはセミネール第13講で「美は欲望を宙づりにする」と言ったらしいが、これほど美の特性を率直に言い得た者はほかにいないのではないか。換言すれば、彼は十分に詩人ではないのということなのだが。 タブローに関してラカンは「眼に対する眼差しの勝利と…

わたしを苦しめる唯一のことは、わたしの愛をあなたに証明するのがどうしても不可能だということです

フロイトの言葉だ。 しかし、われわれ(みな)の言葉でもある。 恋人に本を贈った。バルトの『恋愛のディスクール』である。 夜に訪れる瞑想的な時間のなかで、彼女はこれを読んでいた。ぼくは、シュネーデルによるグールドを捲っていた。彼女は『ディスクー…

美について

美とは、快と無縁な何かである。眼福とか美味とか、そういう経験とは一切関わり合いをもたない。むしろ、美は恐怖と連関している。なぜなら、美の享受をする我が身の周りには、つねに際限もなければ底も知れれぬ闇が広がっているからだ。むしろ、美は経験と…

過去のはなし

杉山さんは過去の話をすることが嫌いですか。 鈴木に、そう問われたことがあるのを思い出した。もう、何ヶ月も前の話である。 自分がどんなことを言ったか殆ど憶えていないのだけれど、あまり明るい話はしなかったような印象がぼんやりと胸の内にとぼってい…

深夜の通報

「ええ、あの、かようなことで相談するのもどうかと思われたのですが、騒音でして…」 頃は丑三つ時、ひとりの男、寒き廚に立ちて零すように言葉を垂れる。隣の住人が友人らしき人々と夜の酒に喧しく、耐えかねて岡引に相談の電話をしたのだ。 こういうとき、…

廚の声かしまし

飯のことでも書いたら、と夕飯を拵えてる最中、唐突に恋人に言われた。 「書くって、なにをだよ」 「ご飯のことですよ。きみはご飯をつくるのが、好きじゃない。だから、ブログの記事に、どうなの」 「ええ好きですとも、ほとんど毎晩、きみのところにいる間…

弥生美術館と森アーツ

竹久夢二美術館(弥生美術館)と、森アーツに行ってきた。同じコースの同輩ふたりとともに。 竹久夢二の画を生で観たのはいつぶりだろう。よく憶えていないけれど、ぼくは元来、童画のほうが好き。夢二の描く女性がは色っぽいけれど、たまにものすごく悪そう…

無題七歌

冬はゆる女の肌の翳ぞ朝窓霜に溶く奥に木瓜咲く 波打てる浜に睡らむ岩石の星霜を夢む漣痕に指なぞる吾児(あこ) 畑道(はたみち)の先に構えし氏の宮 傍(はた)に庚申三峰の石 花を背にまた山背負い立つ老人の顔にかかる黄葉の彩 風きれる秋 畳の蚊微睡む…

Aphanisis

わたしたちは、この表象代理を、わたしたちの疎外の原機序の図式のなかに位置づけることができます。わたしたちは、まずシニフィアンの最初の結合によって、主体はまず、第一番目のシニフ ィアンつまり一元的シニフィアンとして大文字の他者のなかに現われる…

メモ : 阿難について

柄谷行人の『探求Ⅰ』を読みなおしていて、デリダ的に「語る主体」とは同時に「聴く主体」である、という一文に出遭った(このテーゼは本書の冒頭から終わりに至るまで何度か登場する)。 そこで咄嗟に思ったのだが、阿難、というか経典の語り手って、「語」…

金曜11:30より

先の金曜日。1限のインド思想研究を終えたぼくは、同輩の黄檗と、それから実家が曹洞禅の鈴木ら5人とともに、森内先生へゼミのご相談を賜るためにZoomに集まった。 いつもの勉強会のメンツとほとんど変わらない。いつもどおりのZoomの集い。結集である。Zoom…

午后の宝物館

今年の1月のことである。ぼくは佐島先生の授業の課題で、法隆寺宝物館にいた。法隆寺宝物館は、その名が暗示するように、法隆寺から献納された数々の仏像や仏具等の文化財を所蔵している施設で、東京国立博物館の門を抜け、そのまま左方向へと真直ぐに進んだ…